『ヒロシマというとき』
被爆60周年という広島にとっては節目の年も、残すところ二ヶ月となりました。
11月は、カトリック教会の伝統によれば「死者の月」です。死者のために祈り、死について思いめぐらします。
今年亡くなった人々の中で、ヨハネ・パウロ二世は勿論ですけれど、忘れられないのは、原爆の非人間性を告発し続けた詩人栗原貞子さんです。
「こわれたビルディングの地下室の夜だった」と始まる原爆直後の極限状況における人間の誕生と死を描いた「生ましめんかな」を初めて読んだ時、心が震えました。まだ広島に住み始めて間もない頃でしたが、「ヒロシマ」とは何かを考えさせる強烈なインパクトを受けました。
そして、それ以来、なにかにつけて繰り返し繰り返しこの詩を読むことによって、勇気づけられ、希望を与えられました。
『ヒロシマというとき』
栗原 貞子
〈ヒロシマ〉というとき
〈ああ ヒロシマ〉と
やさしくこたえてくれるだろうか
〈ヒロシマ〉といえば〈パールハーバー〉
〈ヒロシマ〉といえば〈南京虐殺〉
〈ヒロシマ〉といえば 女や子供を
壕のなかにとじこめ
ガソリンをかけて焼いたマニラの火刑
〈ヒロシマ〉といえば
血と炎のこだまが 返ってくるのだ
〈ヒロシマ〉といえば
〈ああ ヒロシマ〉とやさしくは
返ってこない
アジアの国々の死者たちや無告の民が
いっせいに犯されたものの怒りを
噴き出すのだ
〈ヒロシマ〉といえば
〈ああ ヒロシマ〉と
やさしくかえってくるためには
捨てた筈の武器を ほんとうに
捨てねばならない
異国の基地を撤去せなばならない
その日までヒロシマは
残酷と不信のにがい都市だ
わたしたちは潜在する放射能に
灼かれるパリアだ
〈ヒロシマ〉といえば
〈ああ ヒロシマ〉と
やさしいこたえが
かえって来るためには
わたしたちは
わたしたちの汚れた手を
きよめねばならない
今、わたしたちの周りで、「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」とうたった憲法の改正、在日米軍再編による岩国基地への空母艦載機部隊の移転という問題が動き始めています。
「捨てた筈の武器を ほんとうに
捨てねばならない
異国の基地を撤去せねばならない」
という栗原貞子さんの遺言と受けとめてもいい訴えにわたしたちはどのように応えていくのか、真剣に考え、なんらかの行動へとつなげていく必要があるのではないでしょうか。
『生ましめんかな』
栗原 貞子
こわれたビルディングの地下室の夜だった
原子爆弾の負傷者たちは
ローソク一本ない暗い地下室を
うずめていっぱいだった
生まぐさい血の臭い 死臭
汗くさい人いきれ うめきごえ
その中から不思議な声がきこえてきた
「赤ん坊が生まれる」と言うのだ
この地獄の底のような地下室で
今、若い女が産気づいているのだ
マッチ一本ないくらがりで
どうしたらいいのだろう
人々は自分の痛みを忘れて気づかった
と「私が産婆です、私が生ませましょう」
と言ったのは
さっきまでうめいていた重傷者だ
かくてくらがりの地獄の底で
新しい生命は生まれた
かくてあかつきを待たず産婆は
血まみれのまま死んだ
生ましめんかな
生ましめんかな
己が命捨つとも