「戦争は人間のしわざです。
戦争は人間の生命を奪います。
戦争は死そのものです。
過去を振り返ることは、将来に対する責任をになうことです。
広島を考えることは、核戦争を拒否することです。
広島を考えることは、平和に対しての責任を取ることです。
これは今年亡くなった前ローマ法王ヨハネ・パウロ二世が1981年2月に、ここ平和記念公園の原爆死没者慰霊碑の前で世界へ発信したメッセージの一部です。」
これは被爆60周年の広島の平和記念式で、小学生二人が力強く宣言した「こども代表 平和への誓い」の冒頭のことばです。
24年前のヨハネ・パウロ二世の「平和アピール」がこんなにも人々に知られ、受け 容れられていることに感動し、また驚いてもいます。
この節目の年にあたって、広島教区は心を新たにして平和行事に取り組みました。
毎年行う恒例の行事を実行するとともに、特別の行事もありました。
平和行進(原爆供養塔前から平和記念聖堂)
(1) 姉妹教区縁組5周年の集い
左から三末司教、ジョン司教、 ティローナ司教
1995年被爆50周年の年に、広島教区は「平和の使徒」となることを固有の使命 と考え、アジアの教会との和解を呼びかけました。
2000年に、呼びかけに応えてくださったインファンタ教区(フィリピン)と釜山教区(韓国)と姉妹教区縁組を結びました。
5周年にあたる今年、これからの活動、交流を深めるために、三教区の司教、司祭、信徒が一堂に会して、平和祈願ミサを捧げ、親睦と話し合いの時をもちました。
(2) 長崎教区との交流
巡礼団
かねてから提案されていた長崎教区との交流を、被爆60周年の記念すべき年をきっかけにして始めました。
8月6日、9日、それぞれの原爆記念日にあわせて巡礼団を派遣し、相互訪問を実施しました。
広島からは、8日に出発し、慰霊祭、たいまつ行列、平和祈願ミサに参加し、雲仙、島原、外海を巡礼し、10日に帰ってきました。三末司教様を団長として司祭、神学生、信徒35名が参加しました。
(3) 平和をつくるこども交流プロジェクト(イスラエル・パレスチナ・日本)
秋葉市長とプロジェクトメンバー
今もなお紛争が続いているイスラエルとパレスチナの高校生12名を、被爆60周年の広島と長崎へ招き、日本の高校生とともに「出会いと対話」を経験するプロジェクト。
一行は、8月2日から8月7日まで広島に滞在し、被爆地を直接訪れ、肌に感じ、核の脅威と現実に触れ、大きなインパクトを受けていました。
(4) 日米女子修道会総長管区長会「ヒロシマ長崎60年『平和の誓い』」
シスター・ベアトリス・アイヒテンとシスター弘田鎮枝
8月6日、原爆が投下された8時15分から始まったミサの中で、シスター・ベアトリス・アイヒテン(全米女子修道会総長管区長会会長)とシスター弘田鎮枝(日本カトリック女子修道会総長管区長会会長)によって「平和の誓い」が表明されました。
「第二次大戦終結後60年にあたる2005年8月、米国と日本の女子修道会の代表が、広島と長崎に集うことになりました。私たちは60年前の広島・長崎を思い起こし、奉献した女性として、日米の修道女がすべての暴力に対して「否」と言い、戦争に反対し平和を創り出す努力を連帯して行う決意をここに表明します。」
(5) 被爆60周年キリスト者平和の祈り
月下牧師
8月6日午後、世界平和記念聖堂で、プロテスタントとカトリック合同の平和を祈る集会が開かれました。
被爆を体験した牧師のメッセージ、ハンドベル、パイプオルガン、チェロ、琴などによりバッハの宗教曲や賛美歌が演奏され、荘厳な雰囲気に包まれ心をひとつにして平和のために働く決意を新たにしました。
被爆60周年を機に、これから毎年8月6日には、広島のキリスト者が平和の実現を願って、必ず熱い祈りの集いを開くことを誓いました。
「被爆60周年を迎え、決意を新たにし、
わたしたちは、被爆者の方々の願いを受け継いでいきます。
わたしたちは、核兵器の恐ろしさを世界中の人々に訴え続けます。
わたしたちは、ヒロシマを語り継ぎ、伝えていきます。
平和な世界を築くまで。」
上述の「こども代表 平和への誓い」の結びのことばです。
わたしたちも、こどもたちと同じ約束をしたいと思います。