「原爆ドーム」の訴え
12月7日は、人類史上最初の被爆地広島のシンボル「原爆ドーム」が、「世界遺産」に登録されて8周年にあたる日でした。
記念の碑文には、「原子爆弾による被爆の惨禍を伝える歴史の証人としてまた核兵器廃絶と恒久平和を求める誓いのシンボルとして」という文字が刻まれています。
この文言は、そのまま、現代の世界の歴史のなかで、また未来の世界へ向かって歩いていく歴史の中で、ヒロシマの使命は何であるかを明確に告げています。
今年の夏、「父と暮らせば」という映画が上映されました。原爆投下から3年、生き残った後ろめたさから幸せになることを拒否して生きている主人公を宮沢りえが好演していました。
映画の原作は、井上ひさしの同名の戯曲です。
初演は、1994年9月3日ですが、「前口上」で、井上ひさしは書いています。
「あの二個の原子爆弾は、日本人の上に落とされたばかりでなく、人間の存在全体に落とされたものだと考えるからである。あのときの被爆者たちは、核の存在から逃れることのできない二十世紀後半の世界中の人間を代表して、地獄の火で焼かれたのだ。だから被害者意識からではなく、世界五十四億の人間の一人として、あの地獄を知っていながら、「知らないふり」することは、なににもまして罪深いことだと考えるから書くのである。おそらく私の一生は、ヒロシマとナガサキを書きおえたときに終わるだろう。」
もう一人のヒロシマに深く関わりと拘りをもつ作家大江健三郎の著書の中に次のような一節があります。
「人類は広島を経験する前と経験した後で、はっきり変っていなければなりません。現に、変っているはずです。広島・長崎の体験はひとつの信号でした。人類に対するサインでした。人類はこの広島・長崎を体験したことで大きな認識にいたることになった。その認識に立って、地球的な規模で、グローバルな考え方をしてゆかなくてはならないのです。
広島・長崎は私たちの永遠に続く懺悔です。個人としても、また人類全体としても表現されなければならない。・・・・・私たちの懺悔は、こうした体験を二度とひき起さぬという方向に向かわねばなりません。その意味でこの出来事に直接自分が関わっていなかったとしても、誰もが広島・長崎の犠牲者たちの前で懺悔をしなくてはなりません。」(「ヒロシマの『生命の木』」、大江健三郎、NHK出版、48頁)
核兵器廃絶と平和を実現するために積極的に発言し行動を続ける二人の文学者の思いとことばに耳を傾けたいと思います。
ヒロシマ・ナガサキの出来事と体験は、「人類に対するサイン」であり、「人間存在全体」が共有しなければならない、「知らないふり」をすることがゆるされないものだという訴えに、ひとりひとりが(特に、広島に住んでいる)誠実に答えていかなければならないと思っています。
間もなく、広島は、被爆60周年を迎えようとしています。
寒空に、今日も、「原爆ドーム」は、「ノーモア ヒロシマ」と叫び、祈っています。