平和巡礼

 

 10月13日から10月22日まで、2004年世界平和記念聖堂献堂50周年公式巡礼が行われます。


 訪問地のひとつにポーランドのオシヴェンチム(アウシュヴィッツ)があります。

 

 1981年2月、ポーランド出身の教皇ヨハネ・パウロ2世は自らを「平和の巡礼者」と名乗って、広島へ来られました。
 広島訪問を「巡礼」と考えておられたということです。
教皇は、「平和アピール」の中で、広島と長崎を「人間とは信じられないほどの破壊をやってのけるものだということを思い起こさせる」歴史に永久にその名をとどめる都市だと位置づけました。
 しかし、教皇はまた、人類の犯した破壊を記憶し、証しする広島は「その同じ人間が、立派に平和を創り出すこともできるという信念」を力強く表明してもいると宣言しています。
 広島は、破壊と創造の相反する二つのことを世界に訴えているのです。
教皇は、広島平和記念公園への訪問を希望したのは、「過去(破壊)を振り返ることは、将来(創造)に対する責任をになうことです」という強い確信に基づくと語っています。
 ここに、広島訪問が「平和巡礼」でありことの理由が明らかにされています。

 

 今回の広島教区の巡礼団が、オシヴェンチム(アウシュヴィッツ)を訪問する意味もそこにあります。
 強制収容所で行われたユダヤ人大虐殺(ホロコースト)は、まさに「人間とは信じられないほどの破壊をやってのけるものだということ」を示すものです。
 しかし、人間の悲惨で残酷な「闇」が露わにされた同じ場所で、人間としての極限の美しさが輝いたのです。
 すなわち、地獄にもたとえられる強制収容所から二人のキリストの愛の証人が生まれたのです。聖マキシミリアン・マリア・コルベと聖エディット・シュタイン(テレジア・ベネディクタ・ア・クルーチェ)です。

 

 聖マキシミリアン・マリア・コルベは、1894年1月8日、ポーランドのズドヴィンカ・ボラに生まれ、1918年4月28日、司祭叙階、1941年8月14日、餓死室で帰天。
 1971年10月17日、教皇パウロ6世により列福。1982年10月10日、教皇ヨハネ・パウロ2世により列聖。

 

 エディット・シュタインは、死の直前、十字架の聖ヨハネの生誕400年を記念した「十字架学」を書き始めていましたが、収容所での殉教をもって「十字架学」を完成したと言えます。
 修道院から収容所への強制移送の途上、修道院長に宛てて、ひそかに送ることのできた最後の短い手紙に「十字架を徹底的に体験するとき、十字架学を理解できます。このことを、私は最初の瞬間から確信し、深く心の限り悟りました。めでたし、十字架、唯一の希望(Ave crux, spes unica)」と書き記しています。

 

 獄舎から脱走者が出た罰に餓死室に送られることになった一人の囚人が、「私には妻と子どもがいる。死にたくない。」と泣き叫び始めた。
 その時、コルベ神父が前に進み出て、収容所長に「私があの人の代わりに死にます。」と申し出た。
 所長は、「お前は誰だ。」と尋ねた。
 「カトリック司祭です。私には家族がありませんから。」コルベ神父は答えた。
 「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」(ヨハネ15・13)というイエスの愛の福音を、コルベ神父は身をもって実践したのです。

 

 聖エディット・シュタインは、1891年10月12日、ポーランドのヴロツワーフに生まれ、1934年4月15日、カルメル会修道女として着衣(修道名テレジア・ベネディクタ・ア・クルーチェ)、1942年8月9日、ナチスのユダヤ人絶滅刑によるガス虐殺の犠牲となって帰天。

 

 エディット・シュタインは、死の直前、十字架の聖ヨハネの生誕400年を記念した「十字架学」を書き始めていましたが、収容所での殉教をもって「十字架学」を完成したと言えます。
 修道院から収容所への強制移送の途上、修道院長に宛てて、ひそかに送ることのできた最後の短い手紙に「十字架を徹底的に体験するとき、十字架学を理解できます。このことを、私は最初の瞬間から確信し、深く心の限り悟りました。めでたし、十字架、唯一の希望(Ave crux, spes unica)」と書き記しています。

 

 聖エディット・シュタインは、その全人生を捧げ尽くして「わたしたちは、十字架につけられたキリストを宣べ伝えています。すなわち、ユダヤ人にはつまずかせるもの、異邦人には愚かなものですが、ユダヤ人であろうがギリシャ人であろうが、召された者には、神の力、神の知恵であるキリストを宣べ伝えているのです。神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いからです」(1コリ1・23-25)と信仰告白したのです。

 世界平和記念聖堂献堂50周年を記念して行われる巡礼が、ほんとうの「平和巡礼」と
なり、豊かな実りがありますように。