チルソクの夏

 

「七夕知ってる? ユー ノウ タナバタ?
 トゥデイ、ジュライ、セブンス、デイ。 ミルキィウェイ、織り姫と彦星が・・・
 プリンセススター アンド プリンススター、ワンイヤー、ワンタイム ミート・・・」 
「チルソク」
「チルソク・・・七夕のこと、チルソクっていうんだ?」
「イエス、チルソク」

 

映画「チルソクの夏」の二人の主人公の会話です。一人は、韓国人の男子高校生。もう一人は。日本人の女子高校生。
1977年7月、二人は、釜山で開かれた釜山と下関の高校生陸上親善競技会で出会い、一年後に下関での再会を約束します。
当時の韓国と日本の政治状況、社会情勢、国民感情を背景にした差別と偏見に、それぞれが直面しながらも、それらを乗り越えて約束を果たします。
一年後の七夕の夜、親善競技会の後、宿舎での打ち上げを抜け出した二人は、関門人道トンネルを歩きます。
トンネル内に山口県と福岡県の県境を示す白い線があり、それを跨ぎます。

 

「ホラここ、今、右足が山口県で左足が福岡県」
「三十八度線モ コウシテ 自由二 跨ゲルトイイ」
「・・・・・・・」
「大学ヲデタラ 外交官ニナル。郁子ノオ父サンヤ 僕ノ母親ハ オ互イニ 日本、コリア トイウコトダケデ 憎ミ合ウ。ソンナノ オカシイヨ。デモ 第一ニ 北ト南ヲ 統一シタイ。統一ノタメニ 働キタイ。北ト南ハ 同ジ民族ナノニ 血ノ繋ガッテイル人マデガ 憎シミ合ッテ 暮ラシテイル。ホントニ オカシイヨ」

 

映画の中の印象に残った若い二人の会話です。

 

映画の舞台は、わたしが生まれ育った町だったので、繰り返しあらわれる路地や坂道や方言にとてもなつかしさを感じ、胸にグッとくるシーンもありました。
しかし、それ以上に、わたしは、1999年に釜山で行われた釜山教区と広島教区の日韓合同キャンプに参加した時のことを思い出しました。
釜山港と下関港でのお互いを歓迎し、また別れを惜しむシーンは、わたしが体験したものと全く同じ光景でした。純朴な心、ほとばしる情熱、心ときめく友情、輝くばかりの若さ、これぞまさに青春!

 

1982年、隣の国であるにもかかわらず、「遠い国」であった韓国のカトリック教会との交流をめざして、「山口・島根地区少年の集い」の呼びかけと努力によって、釜山教区水晶教会との間に、学生を中心とした日韓合同キャンプが始められました。
この交流は、2000年の、インファンタ(フィリピン)・釜山(韓国)・広島の姉妹教区縁組へとつながっていきました。
20年間の交流に参加した若者の数は千人近くになるでしょう。両教区の若者たちは、人生の貴重な宝を発見したと確信しています。

 

8月8日は、「姉妹教区の日」です。
2000年8月6日、調印式の誓いを実現するために努力を続けていきましょう。
「希望の道は平和への道です。
『平和』実現のためには、和解・交流・友好・一致・協力・環境・正義など多くの能動的要素が要ります。私たちはそれらを具体的な行動で実現してゆきましょう。
 共に暮らしたことがなければ、兄弟、姉妹、家族という実感は湧いてきません。
 まず私たちは交流をしてゆきましょう。そして交流を通して私たちの目指す「平和」、神の国の実現に向かっての具体的方法を探し、共に未来を築きましょう。」

 

8月10日から8月12日まで、下関で、広島教区練成会が開かれます。小学5年生から中学3年生までの男女が集まります
テーマは、「心をひとつに平和のために働こう」です。
広島教区の未来を担う若い世代が、平和の使徒としての歩みを始めるよいきっかけとなる練成会となるように祈りましょう。