「 雨のように 」

 気象庁は、5月29日、九州・中国・四国地方で一斉に梅雨入りしたとみられると発表しました。
中国地方の梅雨入りは、平年より8日、昨年より12日早く、観測史上4番目の早さだそうです。
部屋の窓から見える世界平和記念聖堂の境内の樹々も、やさしい雨に打たれて、緑の鮮やかさを増しています。

 静かに空から降ってくる雨をじっと見ているのが好きです。どういうわけか、雨の日は心が落ち着くのです。
 八木重吉という詩人は、雨が好きだったのでしょう。「雨」と題する詩をいくつも書いています。

 

 窓をあけて雨を見てゐると
 なんにも要らないから
 こうしておだやかなきもちでゐたいとおもふ

 

 なかでも一番好きなのは次の詩です。

 

 雨のおとがきこえる
 雨がふってゐたのだ

 あのおとのようにそっと世のためにはたらいてゐよう
 雨があがるようにしづかに死んでいこう

 

  神学生時代に初めてこの詩に出会って、いつも「そっと世のためにはたらいていよう」と謝祷のように唱え続けています。進むべき道を見失いそうになった時など、結構、力となります。
 イエスの生き方とこの詩とを重ねて考えています。そっと世のために働いて、静かに死んでいく…

 

「人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである。」
(マルコによる福音書10章45節)

 

 映画「パッション」を見ました。
目をそむけたくなるようなリアルな映像でイエスの受難を描いたことが評判になりました。
「凄惨なシーンを描くのも、ある一つの目的のため」と監督のメル・ギブソンは語っています。「キリストが我々の罪を償うために味わった恐ろしい苦難を目にし、理解することで、人の心の深いところに影響をあたえ、希望、愛、赦しのメッセージが届けられることだ。」
映画の感想を聖書をかりて述べれば、次の一節です。

 

「イエスは、わたしたちのために、命を捨ててくださいました。そのことによって、わたしたちは愛を知りました。だから、わたしたちも兄弟のために命を捨てるべきです。」
(ヨハネの手紙1 3章16節)

 

「パッション」の冒頭に、預言者イザヤのことばが示されていました。

 

「彼が刺し貫かれたのは
わたしたちの背きのためであり
彼が打ち砕かれたのは
わたしたちの咎のためであった。
彼の受けた懲らしめによって
わたしたちに平和が与えられ
彼の受けた傷によって
わたしたちはいやされた。」
(イザヤ書53章5節)

 

 イエス・キリストの受難と十字架の死によって、「平和」が実現されたのです。イエス・キリストは、父である神から派遣された「平和の使徒」です。
 「わたしについて来たい者は、自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。」(ルカによる福音書9章23節)というイエスの呼びかけに答えて、「平和の使徒」となる歩みを続けましょう。

 

 雨の音のようにそっと。
 雨があがるように静かに。