世界平和記念聖堂のマリア像

 

 

 

 

 

 

 

解 説

聖堂案内シリーズ聖母マリア像

 

 世界平和記念聖堂の右側の側廊の最奥部に白い聖母像が安置されています。
 この聖母像は「無原罪の宿りの聖母」(1)といわれます。

 

 世界平和記念聖堂の境内に「ルルド」(2)を設置する計画があり、聖母像が制作されましたが、計画が中断し、聖母像は聖堂内に安置されることになりました。

 

 製作者は、中田秀和さんで、台座に紹介文のプレートが貼られています。

 

作者 ドミニコ・中田秀和(1909~1982)

 1909年、長崎県五島鯛之浦に生まれる。
伝道士としての任を果たした後、洋画と書を勉強し、東光会、二科展などを経てカトリック美術協会会員となる。
この時代の代表作は、長崎博物館所蔵の「母への最後の手紙」がある。


 戦後、ミッションスクールで教鞭をとる傍らカトリック聖像の制作を行う。代表作として大浦天主堂「信徒発見百周年記念レリーフ」、北海道男子トラピスト大修道院75周年の「記念レリーフ」などがある。
晩年の作品としてローマ教皇来崎記念の「ヨハネ・パウロ2世胸像」がある。

 

 聖母像は、多くの人々から敬愛を受け親しまれ、美しい花が飾られ、像の前にひざまずいて祈る人の姿が見られます。
 平和学習に訪れた生徒や学生たちが、平和を祈願して折り鶴の束をささげたりもしています。

 

(1)「マリアはキリストによって救われた者の代表的存在です。教会はこのことをマリアに関する二つの教義(①無原罪の宿り②被昇天)で示しました。「無原罪の宿り」の教義は、マリアがその存在の初めから原罪の汚れととがを一切うけておられなかったという教えです。」(「カトリック教会の教え」カトリック中央協議会106頁)
(2)「ルルド――フランスの南西部、オート・ピレネー県西部の町ルルドにある、世界的に有名な「無原罪の宿りの聖母」聖堂。1858年に聖母が、18回にわたってルルド近くのマッサビエルの岩窟で、14歳の田舎娘ベルナデット・スビルーに現れた。同時に泉がわき出て、さまざまな病気の治癒が報告され、巡礼者がこの地に集まり始めた。1862年に、聖母の出現は教会によって認められ、岩窟の上に教会堂が建てられた。次に、1883年から1901年にかけて、すばらしい「ロザリオの教会堂」が建てられた。そのとき以来、何百万人という人々が聖堂を訪れ、治癒の種類を検討するための医局が設置され、何百人という人々の治癒が真正のものであることが医学専門家によって証明されてきた。」(「カトリック小事典」ジョン・ハードン編エンデルレ書店319頁)
 ローマ教皇レオ13世(1878~1903在位)は、バチカン宮殿の庭にルルドの洞窟を模したものを造りました。これに倣ったことが全世界で行われ、「ルルド」と呼ばれています。