世界平和記念聖堂の棟内部にある平和の鐘
解 説
世界平和記念聖堂は、今年献堂56周年を迎えます。
この聖堂に、同じ戦争の悲惨さを経験したドイツから「平和の鐘」が贈られ、半世紀の間、朝な夕な世界の平和を祈って、鳴り続けています。
「平和の鐘」は四つあり、それぞれに平和を希求する文字がラテン語で刻まれています。
第一の鐘 (平和の元后) 平和の元后
戦争の道具たりし、鋼鉄は、もはや、民々を平和に招く
第二の鐘 (日本の使徒) 日本の使徒聖フランシスコ・ザビエル
西洋から来て、東洋にキリストの平和の福音を伝えた
第三の鐘 (獨逸の使徒) ドイツの使徒聖ペトロ・カニジオ
ドイツは戦争で酷い破壊を受けたが、平和のために日本国民と一緒に働く
第四の鐘 (初の殉教者) 殉教者の初穂、聖パウロ三木
殉教者の血は、キリスト信者の種、平和の種
*( )内の文字は日本語で印されています。
全ての鐘に「平和」という文字が力強く刻まれているのがとても印象的です。鐘はドイツのウエスファーレン州ボッフム市のボフメル・フェライン社が製作いたしました。同社は、戦争中、兵器を製造していたそうです。
主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。
彼らは剣を打ち直して鋤とし槍を打ち直して鎌とする。
国は国に向かって剣を上げず、
もはや戦うことを学ばない。
(イザヤ書2章4節)
預言者の描く終末の平和の姿が、「平和の鐘」に実現しています。
1952年10月27日にボッフム市で、「平和の鐘の贈呈式」が挙行され、政府関係者のほかに、多数の市民、労働者が参列し、世界平和のために祈りと願いをこめて「平和の鐘」を送り出しました。
1953年2月15日、「平和の鐘」が広島に到着した際には、市内を行進して、世界平和記念聖堂まで運ばれました。当時の写真を見ると、まるで「聖体行列」のような祈りに包まれた荘厳なイメージです。
「平和の鐘」は、世界平和記念聖堂の精神を象徴するものであると言っても過言ではありません。人類が自滅するかもしれないという核兵器の脅威を話する広島での思い、人類の悲願である恒久平和への祈りが「平和の鐘」に込められているからです。
世界平和記念聖堂の「平和の鐘」は、一日三度、午前7時、12時、午後6時に、また主日、祝日のミサの始まる時と、結婚式や葬儀が行われる時に鳴らされています。
*参考文献「世界平和記念聖堂」 石丸紀興著・相模書房