洗 礼 盤

 

解 説

 世界平和記念聖堂の正面入口を入って外陣のすぐ右側の奥に洗礼盤が安置された洗礼室があります。

 

 洗礼盤は、1954年にドイツのアーヘン市から広島市に贈られたものです。
 銅製の洗礼盤の蓋に、鷲の紋章を中心にして円形に、AACHEN AN HIROSHIMA
 (アーヘン市から広島市へ)と記されています。

 

 大理石を素材とした円形の洗礼盤の最上部にはラテン語の文字が刻まれています。
 PACEM RELINQUO VOBIS-PACEM MEAM DO VOBIS-1954-

 

 洗礼盤の(洗礼室の奥に向って)右側の側面には、「我れ平和を爾らに遺し、我が平和を爾らに與う」と刻まれています。
 これは、上部のラテン語の日本語訳で、「ヨハネによる福音書」14章27節のことばです。

 

 洗礼盤の正面下部には、イエス・キリストがヨルダン川で、洗礼者ヨハネから洗礼を受けられた場面が、素朴なタッチの線で彫刻されています。

 

 

 「そのころ、イエスはガリラヤのナザレから来て、ヨルダン川でヨハネから洗礼を受けられた。水の中から上がるとすぐ、天が裂けて“霊”が鳩のように御自分に降って来るのを、ご覧になった。すると、『あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者』という声が、天から聞こえた。」(マルコによる福音書1・9~11)

 

 中央上部の天から突き出た手は、父である神のシンボルです。洗礼を授けるヨハネ。洗礼を受けるイエス。鳩の形をした聖霊。

 

 洗礼盤は、現在では、洗礼の秘跡のための聖水を保存する容器で、洗礼を授ける場としての役割をもっています。
 キリスト教初期には、全身を水に浸す浸礼式で洗礼が行われており、洗礼盤は大人が浸かることができる水槽でした。中世に、幼児洗礼が一般化し、少量の水をふりかける滴礼形式が普及していくと、洗礼盤は、聖水を保存するために使用されるようになり、小さくなり、聖堂とは独立した洗礼堂ではなく、聖堂内部に設置されるようになりました。
 独立した建造物としての、西欧初の洗礼堂は、313年にキリスト教を公認したコンスタンティヌス大帝によって建立されたローマのサン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂の洗礼堂です。中央に浸礼用の水盤が設けられた八角形の建物は、その後の洗礼堂建築の規範になったとされます。
 洗礼堂は、円形、多角形、十字形といった集中式が多く、これは洗礼によって再生するための「墓」を象徴するとされます。
 内部はモザイクなどで豊かに飾られており、フィレンツエやピサなどに優美な洗礼堂が建っています。

 

 ※「新カトリック大事典」(研究社)を参考にしました。
「 洗礼の秘跡」については、聖堂案内シリーズ8を参照してください。