2016年2月11日(木・祝)2・11「建国記念の日」を問う広島集会

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城山大賢さん(浄土真宗報正寺住職)

 2月11日(木)、広島カトリック会館多目的ホールで『「建国記念の日」を問う広島集会』が開かれた。今年は浄土真宗報正寺の住職さんで広島の市民運動ではお馴染みの城山大賢さんに、『人間性の原理に覚醒・・・・(水平社綱領)から、現在と未来を問う〜安保法制廃止を求めて〜』と題して講演していただいた。
 城山大賢さんは、自分が人権・平和運動に関わっている根拠を『水平社綱領』にある「吾等は人間性の原理に覚醒し、人類最高の完成に向かって突進す」という一文を引用して説明され、「人間性の原理」にこだわって社会と関わっていきたいと話された。「人間性の原理」については、人間に元来備わっているものと捉え、「ケモノの皮剥ぐ報酬として、生々しき人間の皮を剥ぎ取られ、ケモノの心臓を裂く代価として、暖かい人間の心臓を引裂かれ、そこへ下らない嘲笑の唾まで吐きかけられた呪われの夜の悪夢のうちにも、なお誇りうる人間の血は、涸れずにあった。」という『水平社綱領』の一文から説明された。その上で、仏教の「慈悲」・キリスト教の「愛」の教えにも、あるいはアンデスに住むインディオの少女の「幸せとはみんなが食べ物を分かち合って、みんなが仲良く出来ること」という言葉の中にも見ることができると具体的に話された。講演は「人間性の原理から、他者の悲しみ、苦しみにどれほど共感でき、どれほど身をおく私になれるか」という城山さんご自身の生き方が、これまで関わられてきた活動を通して自覚されてきたことを思わされるものだった。
 講演後の質疑応答では「なぜ城山さんが,水平社綱領に惹かれ、自分の行動の指針になったのか」「人間性の原理と対極に置かれるものを動物性の原理として説明されたが、それは人間のおごりがあると捉えられるのではないか」「人間性の原理から死刑廃止運動をどう考えていくべきか」「部落解放運動は差別の実態から学ぶということを大切にしてきたが、心がけになることの恐れをどう考えるか」など約40分間、途切れることなく意見がでて、講師も交えて意見交換ができた。カトリック、プロテスタント、一般市民ら約70名が参加し、来年もこの集会を継続していくことを確認して閉会した。

(文責 カトリック正義と平和広島協議会 神垣 栄)