広島地区女性連合会 研修会                             2016年1月22日(金)

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広島地区女性連合会 ミサ聖祭 研修会

テーマ : 家庭 召命 祈り
ミサ聖祭 : 加藤神父様(説教) ヴイタリ神父様 斎藤神父様
説 教 : 加藤信也神父様 (祇園教会主任)イエズス会 

●説 教 イエス・キリストの福音宣教は、今の教会の信仰共同体に成長してきました。
  私達は、歴史上の事実であるイエスの復活を信仰の中心としています。
  天地創造は、神の愛です。それは極めて良かった。

●第1講話

 マルコ3-13〜19 イエスは山に登り、これと思う人を呼び寄せられると彼らは集まって来た。そこで12人を任命し使徒と名付けられた。この12人を自分の傍におくためであり、また、悪霊を追い出す権能を授けて宣教に遣わすためであった。
ルカ8-1〜3 イエスは神の国を宣べ伝え福音を告げ知らせながら町や村を巡られ、12人の使徒も一緒だった。マグダラのマリア、ヘロデの家令クザの妻ヨハンナ、スサンナ等多くの婦人たちも一緒であった。彼女たちは自分達の持ち物を出し合って一行に奉仕していた。
ルカ23-44〜49 既に昼の12時頃であった。全地は暗くなりそれが3時まで続いた。太陽は光を失っていた。聖所の垂れ幕が真ん中から裂けた。イエスは大声で叫ばれた。『父よ、私の霊を御手に委ねます』こう言って息を引き取られた。百人隊長は此の出来事を見て『この人は本当に正しい人であった』と言って神を賛美した。見物の群衆も皆これらの出来事を見て胸を打ちながら帰っていった。イエスを知っていたすべての人たちと、ガリラヤからイエスに従って来た婦人たちは遠くに立って、これらのことを見ていた。

ヨハネ6-10〜13 そこには草が沢山生えていた。男たちは、其処に座ったがその数はおよそ5千人であった。「イエスは感謝の祈りを捧げて座っている人々にパンと魚を欲しいだけ分け与えられた」(当時の男性優位の社会が記されている)
家庭 母親と子の関わり。私に2人の姪がいます。お母さんの編んでくれた赤色のセーター、おやつの取り合い、お母さんが作ってくれた特別のものだから。
律法
(彼らはエジプトのファラオに虐められた事実)(バビロン捕囚の時代)
(イエスの時代はローマ帝国に支配された)
旧約聖書の中で、イスラエル人はその体験から[神は我々を見捨てない]彼等のアイデンティティを守るため、民族の結束とその継承の為に、仔細な風俗、慣習を列挙し律法とした。●神は七日目に休まれた。
●説教は難しい。人々の心に伝わってゆくだろうか。耳を傾けるだけの価値があるだろうか。自身の心でいつも、そして何度も考える。信仰はパートタイムでは出来ません。
●教会の掟「主日のミサに与ること」

●第2講話
 今年の2月で私は、64歳になります。
 私は、なぜイエズス会に入ったか。
 私の家はカトリックではなく、私は次男であった。19歳の頃自分の人生に付いて考えた。
 サラリーマンをしていたがそれなりに努力した。其の頃、ある人から大学の研究室に行くように言われ、一人の外国人との出会いがあった。
【この人はどういう人か。其のうちにシスターだと解り】人の為に生きているシスターの清々しさを思い、それが洗礼を受けるきっかけとなり、司祭になる方向になった。
 31年前、私は11年間のサラリーマンに区切りを付けて33歳の時、広島に来ました。
召 命
●1985年3月26日の夕刻、私は、1本の煙草を吸い、山本川の浄念橋を渡って長束のイエズス会に入りました。最初の一日の出来事はよく覚えています。
夕方、みなが休憩室に集まった時、『此処での生活は大丈夫だ』と思いました。
●イエズス会の2年間の修練が始まりました
*1年目は池長修練長でした。あなた方は来年誓願を立てたら家族を訪問しても宜しいと言われました。
*2年目は、瀬戸修練長でした。『あなた方は、誓願式の後、家には帰らなくても宜しい』と言われました。1987年3月誓願式が近づいた時、瀬戸修練長は「加藤さん、あなたは誓願を立てた後、すぐお父さんの処に行きなさい」と言われました。誓願式終了後父の処に行きました。入院していた父は十日後に亡くなりました。今でも瀬戸神父に感謝しています。
●誓願を立てた後、●哲学の勉強を終了。次の中間期の2年間は、日本を出て、ペルーに行くことになり、●中間期を終了。●神学の4年間をメキシコで勉強しました。
●ニコラス管区長が司祭叙階のチェックに来られました。
●そして日本に帰って外国人労働者の為に働くように言われました。
日本に帰るまで日数があるので、カリフォルニア管区のロサンゼルスに行きました。其処で7人の人達が誓願を立てました。3人はベトナム人、4人はポーランド系の人達でした。
●司祭になってイグナチオ教会に11年間居ました。
祈り
私の両親は共働きでした。母が仕事休みで家に居ると嬉しかった。母にとって子供の話を聴くのが何より嬉しい。神との対話、イエズスはアッバ父よと祈られた。

分ち合い
1.恵みとは生活の中の全てが神の恵みである。
2.子供に伝える事は難しいが母がいつも祈っていたので教会に帰れた。
3.手遅れだが今から祈る。なりふり構わず祈る。
4.食事の時、食前の祈りを小学4年の孫が唱える。小さな事から始めました。
5.信仰の喜びの姿があれば家族の支えになる。毎日聖書を読む。
6.娘と二人暮らし、娘は教会に行かないが、信仰の根はある。

私達は、『イエス・キリストの命のパンを戴き教皇・フランシスコの教令・神の慈しみの特別聖年の中で、イエスキリストの憐みといつくしみを信仰の灯』として、私達の活動内容に、暮らしの中に、聖霊の照らしを祈り願った神に感謝のミサと講話の研修会でした。

会長 梶山 聰子