広島地区女性連合会研修会                         2013年10月15日(月)〜16日

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2013年10月15日〜16日 広島地区女性連合会研修会
小倉・大分巡礼29名

(1) 1619年10月15日に殉教した加賀山隼人(2008年列福)の生き方を学ぶため小倉教会に巡礼した。殉教記念日として小倉教会で準備下さった心の籠る式次第で斉藤神父様、オデオン神父様、深堀神父様のミサに与り、隼人が一貫して証したイエス・キリストの信仰の光が私達の心に深く沁み透ったミサ聖祭でした。
*1566年高槻で出生した加賀山隼人は10歳の時ルイス・フロイスより受洗、細川忠興に仕官、忠興に従い1600年豊前に来た。彼はセスベデス神父の司牧に熱心に協力した。忠興はセスベデス神父の帰天を機に小倉教会を破壊。1619年京都で元和の大殉教を目撃して帰国、10月15日隼人を小倉郊外で斬首した。
(2) 竹田市では禁教令の中、洞窟を刳りぬいて秘かにミサが捧げられた礼拝堂、司祭の洞窟住居跡、現在も水の湧く井戸を見学した。其の後、立派な石垣と荒城の月で有名な岡城跡を一週し、大分のホテルキャッスルに宿泊、夕食会では三原のアルナルド神父様の御母テレサ様のご誕生日をバースデーケーキでお祝いした。
*竹田市はサビエルの大分布教から2年後の1553年から領主ルカス・朽網(くたみ)宗作は布教を熱心に推進し多くの信者が増えた。宣教師フランシスコ・ブルドリノは竹田、直入地方を伝道した。1584年(天正12年)宗麟の孫ドン・パウロ志賀親次が岡城主となり竹田、朽網、岡地方を熱心に布教した。  
1594年中川秀成(ひでしげ)が岡城主として入り1596年岡城を完成した。
(3) 翌16日は、野津町の「寺小路磨崖キリシタン」に到着、臼杵市の教育委員会文化財課から私達に遺跡の解説をして下さる緒方孝弘主事がお待ちでした。野津町にはイエズス会の野津院が在り、ここから西に真っ直ぐの約650mの場所にキリシタン共有墓地が在り、カルワリオの丘と呼び信仰生活に密着していた当時のキリシタンのことを熱心に話された。此の時大きな虹が天空に美しく伸びていた。
(4) 「大分県史跡臼杵市野津町大字原の下藤地区キリシタン共有墓地」に到着。
10人くらいの人達が黙々と作業をしていた。 1956年に十字紋と洗礼名[常珎じょうちん=ジョアキン]を刻む蒲鉾型墓碑が。 1999年に石造で十字架の一部とみられる INRI を印刻した碑が発見された。
2010年から臼杵市教育委員会が実施している発掘調査では、地元でキリシタンと呼ばれる400uの広場の表土を除去すると、[54基の墓標が整然と並んだ石組遺構]  [平面が3.3uの正方形状の礎石建物遺構は、30pの段差でやや高い位置にあり、床面には1〜2oの小砂利が敷き詰められている]祭式を行なった遺構、[広場と視られる4メートルの正円形石敷遺構には、直径15p程度の円礫を敷き詰める広場状遺構]など ◎特殊な遺構 がほぼ当時のままで検出されたことでこの遺跡は、キリスト教信仰が野津に布教された時から「1578年頃〜1620年頃」のキリシタン墓地であることが解り、下藤地区へ延びる道路状遺構も見つかっている。
約60基の墓標が在ると話され石組み遺構の説明、埋葬時の有様、様子など、墓地の解説をお聴きした。
*小礼拝堂、墓地十字架を建てる広場の礼拝施設の遺構が発見されたのは日本で始めてで、キリシタン墓地研究の教科書となる遺跡と評価されている。
*野津町のキリシタン常珎(ジョオチン)は、熱心な宣教活動で多くの人を洗礼に導き、自分の屋敷に礼拝堂を設け近郷の信者が参集していたが、大友義統(宗麟の子)は秘かに数人の刺客を野津に急がせ巧みに欺いて郊外で刺殺した。
時は1588年(天正16年)で最初の時期の殉教者であった。
私達は、殉教者常珎のお墓の前で祈りを捧げ聖歌ガリラヤを歌い当時に想いを馳せた。
この遺跡の語るものとして、当時の日本のキリシタン達が、生活の中にイエス・キリストへの信仰、西洋の文化、風習を極めて正確に理解した上で、自分達の生活習慣の中に取り入れていたこともはっきり解った貴重な遺跡であるとのことでした。
(5) 其の後、「掻懐(かきだき)キリシタン墓2基の墓碑」を見学後、
(6) サーラ・デ・うすきの南蛮コーナーで、レプリカの南蛮屏風、ナウ船の模型、大砲国崩し(本物は靖国神社にある)「クルス刻印瓦」『エボラ文書』を見学。
(7) 1562年大友宗麟築城の臼杵城を外から見学した。
(8) 大分教会で斉藤神父様のミサに与り、遊歩公園のフランシスコ・サビエル像、アルメイダの記念碑をバスの車窓から見学した。
(9) 大分歴史資料館では、縄文時代、古墳、陶器、宗麟、国分寺跡の礎石等を、カトリック信者細井氏の丁寧な解説で見学した。
●フランシスコ・サビエルに由って豊後にイエス・キリストの種が播かれ、後に続く熱心な布教により一万人の信者がイエスキリストへの信仰を正しく理解して生活に沁み透していた豊後のキリシタン時代と、禁教の熾烈な迫害による1000人の殉教者の証の精神は、現代の私達の心に巡礼を通して語りかける信仰の光と響きが心に深く沁み透り、父と子と聖霊に感謝の巡礼でした。

会長 梶山聰子