広島地区女性連合会 秋の研修会             2011年11月5日(水)〜6日(木)

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広島地区女性連合会 秋の巡礼 2011年10月5日(水)〜7日(木)
 熊本県天草市及び花岡山に巡礼   参加者37名

広島地区女性連合会はキリストの霊性、信仰の糧をより深く心に培うため天草に巡礼した。
1566年イエズス会士ルイス・デ・アルメイダ神父によって、イエス・キリストの種が天草の志岐で播かれ宣教が始まった。1569年から彼は河内浦で宣教、この地で帰天した。
1568年、1570年、志岐に於いて布教会議が開催され、布教長コスメ・デ・トルレス神父は志岐にて帰天した。 この間、志岐、河内浦に於いて多くの民衆が受洗した。
天草鎮尚ドン・ミゲル、久種ドン・ジョアン親子も受洗した。

1. 南蛮寺跡 キリシタン小西行長所領の時代、天草五人衆の一人上津(つこう)浦種直が1590年に受洗し南蛮寺を建立した。1614年幕府の宣教師追放令により南蛮寺に居たイタリ人マルコス・フェラロ神父は追放されが、信徒は潜伏し信仰を守った。 正覚寺の現住職亀子俊英氏は天草一揆について年貢の重税により起きた一揆で、1646年此処に曹洞宗正覚寺が建立された事を話された。 約400年の時を経て (昭和63年)改築の時、床下からイエズス会紋章と、干十字が刻まれた墓碑、墓石等を発見、南蛮寺の歴史が実証され熊本県指定文化財となり、カトリックの訪問者が増えた。 本堂の奥にはキリシタン時代の洗礼盤、木枠のマリア様、紙の踏絵等,先代住職の収集品を丁寧に展示し保管されている。 初代神父の植えた樹齢400年のなぎの木がある。

2. 天草キリシタン館 本渡城跡に在り、キリシタン弾圧と原城合戦時の日誌、国の重要文化財となったパンとカリスの描かれた天草四郎陣中旗、ラテン語辞典等貴重な遺産資料を見学した。

3. キリシタン墓碑公園 五和町(いつわ町)には御領を中心に1千基のキリシタン墓碑が有り天草市は1971年に約100基の墓碑を鬼の城公園奥に隣接して移し墓碑公園とした。
黒石に十字架を彫り込んだ墓碑、石の十字架がひっそりと信仰を伝えている。

4. アダム・荒川殉教地 富岡城の麓方にあるアダムの殉教地で牧山神父様の笑顔いっぱいのお出迎えを受けた。私達はアダム殉教碑の前に佇み1614年6月5日朝まだき、首を切られて殉教、海に沈められたアダム荒川の限りなく深い信仰に祈りを捧げた。

5. 富岡キリシタン供養碑(首塚とも云われる)について牧山神父様は、富岡城を攻撃した一揆勢は1637年11月19日、二の丸側下で激戦となり数百人が討ち死。その殆どがキリシタンと云われ首塚に埋葬された。
1638年2月27日、28日、原城合戦で討ち死にした約一万人の首を3等分し、原城下と、長崎西坂と、富岡へは3月15日までに3.333人の首を船で運び埋葬した。 原城合戦に渡航出来なかった100余名は山中に隠れていたが捕縛され、富岡城牢内で転宗と拷問を受け1638年3月16日冬切りの地で76名が処刑され殉教、首塚に埋葬されたことを話された。
1938年 国の史跡に認定された。

6. 大江天主堂 天草の乱後キリシタンは隠れ続け1805年発覚後も更に隠れ続けて、1873年(明治6年)復活した。 旧教会堂は、1883年(明治16年)フェリエ神父の時期に建立された。  
明治18年フランス人ガニエル神父が25才で神戸に来日、1892年(明治25年)大江に着任。
新天主堂は、ガニエル神父が私財を投じ心血を注いで1933年(昭和8年1月)に献堂された。現在のロマネスク様式の和洋折中型教会堂である。
彼は、1941年(昭和16年)に亡くなるまで49年間在任した。  
主任司祭牧山神父様ミサに与り説教でアダム荒川の生き様と信仰の在り方を話された。  
説教「1614年家康の宣教師追放令により志岐の神父ガルシア・ガルセスは信者の世話をアダムに託して去った。アダムは、1552年頃島原口之津荒川村(現吉川)に生まれた。若い頃過ちを犯しキリシタン城主アンドレ掃部(かもん)の手打ちになるところを有馬のイエズス会院長モーラ神父に助けられた。彼は剃髪し有馬の教会に仕えた後1590年頃志岐の教会に派遣され聖堂係、伝道士としてひたすら仕えた。 番代川村は棄教を迫り寒風の潮風に9日間吊るし、小屋に60日間閉じ込めた。1614年6月5日の未明処刑された。 2008年11月24日、列福されたペトロ岐部と187殉教者の1人である。   
今、教会は司祭の召命が問われています。 人生の旅路の中で、神に気づき、命に神への信仰を刷り込み、信仰を織り込んで生きてゆく時、信仰を織り込んだ一枚の布を神様に差し出すことが出来るでしょう。」  天草に在ってキリストを伝える力の籠った宣教の信念を私達は汲み取った。

7. 崎津教会 ルイス・アルメイダの宣教した地域である。迫害の中、1873年禁教令が解かれ隠れキリシタンが復活した。旧教会堂は1888年(明治21年)フェリエ神父の時に建立。
新天主堂はフランス人ハルプ神父の資金作りと心血を注いだ信念によって1934年(昭和9年)11月に献堂された。 ゴシック様式の和洋折中型教会堂である。 
ハルブ神父は1890年(明治23年)来日 1927年(昭和2年)12月8日崎津教会主任。 
昭和20年崎津で帰天。 日本で56年間宣教した。
信徒会長山下氏は、迫害の期間厳しい踏絵がこの祭壇の場所で行われ、其の上に教会が建てられたと話された。 資料館を見学し信仰を守った隠れキリシタンの精神を偲んだ。

8. コレジョ跡 コレジョは、セミナリヨ卒業後神学を専攻する大神学校で、天草久種ドン・ジョアンが有馬から自領の河内浦に誘致し、1591年から98年まで存続、列福された中浦ジュリアンも此処で学んだ。天草コレジョは印刷所を併設、天正遣欧使節団が帰国船で持ち帰ったグーテンベルグの活版印刷機で天草本と云われる36種類の本『辞書、教義書、公教要理、ひらかな本、神父用ローマ字本、文法、平家物語、イソップ物語、等』が印刷されていた。

9. 天草コレジヨ館 平成2年5月開館.ドイツのグーテンベルグ博物館で復元された当時の印刷機、天草本、竹のパイプオルガン、玄楽器が展示され、詳しい説明をお聞きした。

10. 天草四郎メモリアルホール  天草島原の乱と南蛮文化の映写を見学した。

11. 熊本市花岡山 小笠原也、マリア・みや(小倉郊外で処刑された加賀山隼人の娘)とその子供9人、奉公人の4人は、(1636年賞金目当ての訴人が長崎奉行に訴え出たため細川忠利は玄也の家族を処刑した)
1636年1月30日花岡山で処刑  黒っぽい自然石の墓石が残っている。
墓石には、 加賀山隼人正興良息女之墓 と彫ってある。
玄也一家は2008年11月24日 列福されたペトロ岐部と187殉教者の中の15名である。

梶山 聰子