広島地区女性連合会 秋の巡礼 2011年10月5日(水)〜7日(木) 広島地区女性連合会はキリストの霊性、信仰の糧をより深く心に培うため天草に巡礼した。 1. 南蛮寺跡 キリシタン小西行長所領の時代、天草五人衆の一人上津(つこう)浦種直が1590年に受洗し南蛮寺を建立した。1614年幕府の宣教師追放令により南蛮寺に居たイタリ人マルコス・フェラロ神父は追放されが、信徒は潜伏し信仰を守った。 正覚寺の現住職亀子俊英氏は天草一揆について年貢の重税により起きた一揆で、1646年此処に曹洞宗正覚寺が建立された事を話された。 約400年の時を経て (昭和63年)改築の時、床下からイエズス会紋章と、干十字が刻まれた墓碑、墓石等を発見、南蛮寺の歴史が実証され熊本県指定文化財となり、カトリックの訪問者が増えた。 本堂の奥にはキリシタン時代の洗礼盤、木枠のマリア様、紙の踏絵等,先代住職の収集品を丁寧に展示し保管されている。 初代神父の植えた樹齢400年のなぎの木がある。 2. 天草キリシタン館 本渡城跡に在り、キリシタン弾圧と原城合戦時の日誌、国の重要文化財となったパンとカリスの描かれた天草四郎陣中旗、ラテン語辞典等貴重な遺産資料を見学した。 3. キリシタン墓碑公園 五和町(いつわ町)には御領を中心に1千基のキリシタン墓碑が有り天草市は1971年に約100基の墓碑を鬼の城公園奥に隣接して移し墓碑公園とした。 4. アダム・荒川殉教地 富岡城の麓方にあるアダムの殉教地で牧山神父様の笑顔いっぱいのお出迎えを受けた。私達はアダム殉教碑の前に佇み1614年6月5日朝まだき、首を切られて殉教、海に沈められたアダム荒川の限りなく深い信仰に祈りを捧げた。 5. 富岡キリシタン供養碑(首塚とも云われる)について牧山神父様は、富岡城を攻撃した一揆勢は1637年11月19日、二の丸側下で激戦となり数百人が討ち死。その殆どがキリシタンと云われ首塚に埋葬された。 6. 大江天主堂 天草の乱後キリシタンは隠れ続け1805年発覚後も更に隠れ続けて、1873年(明治6年)復活した。 旧教会堂は、1883年(明治16年)フェリエ神父の時期に建立された。 7. 崎津教会 ルイス・アルメイダの宣教した地域である。迫害の中、1873年禁教令が解かれ隠れキリシタンが復活した。旧教会堂は1888年(明治21年)フェリエ神父の時に建立。 8. コレジョ跡 コレジョは、セミナリヨ卒業後神学を専攻する大神学校で、天草久種ドン・ジョアンが有馬から自領の河内浦に誘致し、1591年から98年まで存続、列福された中浦ジュリアンも此処で学んだ。天草コレジョは印刷所を併設、天正遣欧使節団が帰国船で持ち帰ったグーテンベルグの活版印刷機で天草本と云われる36種類の本『辞書、教義書、公教要理、ひらかな本、神父用ローマ字本、文法、平家物語、イソップ物語、等』が印刷されていた。 9. 天草コレジヨ館 平成2年5月開館.ドイツのグーテンベルグ博物館で復元された当時の印刷機、天草本、竹のパイプオルガン、玄楽器が展示され、詳しい説明をお聞きした。 10. 天草四郎メモリアルホール 天草島原の乱と南蛮文化の映写を見学した。 11. 熊本市花岡山 小笠原也、マリア・みや(小倉郊外で処刑された加賀山隼人の娘)とその子供9人、奉公人の4人は、(1636年賞金目当ての訴人が長崎奉行に訴え出たため細川忠利は玄也の家族を処刑した) 梶山 聰子 |
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