広島地区女性連合会 秋の巡礼             2010年10月6日(水)〜7日(木)

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広島地区女性連合会 秋の巡礼 2010年10月6日(水)〜7日(木)
 京都のキリシタン、 宣教と迫害の跡を巡礼

1.南蛮寺の鐘 重要文化財 (非公開)
1576年高山右近達によって京都四条の姥柳町に建立された南蛮寺の鐘で、1854年(嘉永7年)仁和寺から春光院(妙心寺の塔頭)に移り半鐘として使用された。(現在も) 高さ60p口径45p重量68`の青銅製で極めて美しい音色である。 側面の周囲には上下に3本の線と、太陽の文様の中に、十字架とI・H・Sを組み合わせた円紋を四方に鋳出、3本の釘が刻まれている。その一方に1577(天正5年)の西暦年号を鋳出している。    キリシタン宣教の貴重な遺産である。 最近専門家による仔細な調査、製作過程等の研究が進められており、全く同一のものがマカオに有ることが確認された。方丈襖絵の金箔画は、京狩野永岳筆の {ゆりと薔薇}で、襖の取手の十字を拝見した。春光院御住職より詳しい解説をお聴きした。   宗派は違っても宗教による心の絆は一つと御住職は力を込めて話された。 

2 .細川忠興、ガラシャの墓碑 
高桐院(臨済宗大徳寺の塔頭)は、千利休が大切にしていた欠け灯籠を、忠興が譲り受けた欠け灯籠の墓で、静かな風情の庭に佇んでいた。

3. 瑞峯院(450年前大友宗麟による建立、臨済宗大徳寺の塔頭)  十字架の庭
大友宗麟は大徳寺で修行20代で得度し、宗麟と名乗り菩提寺瑞峯院を建立した。 茅葺の屋根は柱に負担を掛けない建築で、昨年1億5千万円で葺き替えられた。 方丈の南庭は、美しく波打つ白砂の中に毅然とした黒石を配置した枯山水の庭。 北庭は、美しい白砂の波紋を敷き、大友宗麟を記念したキリシタン燈籠と7つの石を十字架に配した庭である。瑞峯院御住職から建立の歴史解説をお聴きした。宗派は違っても宗教心は一つ、無料の空気を一杯吸って背筋を伸ばそうと力説された。

4.一条戻り橋 日本26聖人の24人が片方の耳を削がれた痛みの場所を訪れた。

5.河原町教会の6:30朝ミサに参加 都の聖母の安置された地下聖堂で2人の司祭による朝ミサに与る。東京神学院の白浜神父様のお説教は、太郎に無料の奉仕の大切さを気付かせる母の愛を話された。

6.都の南蛮寺跡『姥柳町遺跡』中京区姥柳町(蛸薬師通室町西入ル)付近。京都市による石碑、立札。京都では1559年から宣教、迫害に会いながらもカトリック・イエズス会宣教師は布教に努力、織田信長の保護もあって信者は拡大した。ルイス・フロイス書簡の詳述によると、以前建てた教会堂老朽化のため1575年協議の結果再建を決定、オルガンチーノの指揮で、キリシタン数百人、高山右近達の協力と寄進、所司代村井貞勝の援助とイエズス会によって、木造瓦葺(出土遺物により屋根瓦に十字紋を確認) 日本最大の教会堂を建立。    正式名は『被昇天の聖母教会』で、完成に先立つ1576年8月15日ミサが行われた。 1587年(天正15年)6月、豊臣秀吉の宣教師追放令により破壊された。

7.26聖人発祥の地 妙満寺跡 1593年フランシスコ会の宣教師が来日、秀吉から旧妙満寺跡の広大な土地を与えられて聖マリア教会を建立。聖アンナ、聖ヨゼフ病院が建てられキリシタン達はこの地に集まり献身的に働き人々はデイウス町と呼んだ。 1596年秀吉はこの地で24人の信者を捕縛した。一条戻り橋で耳を削がれ長崎に送られ西坂の丘で殉教した。

8.フランシスコの家・資料館 秀吉が与えた妙満寺跡のフランシスコ会修道院の在った場所で、26聖人ゆかりの地でもある。現在、町屋を買取りフランシスコの家が在る。斉藤神父様、ルカ神父様のミサに与り、キリシタンの資料を見学した。

9.元和の大殉教碑 徳川2代将軍秀忠は京都でキリシタンの大弾圧を行い信者の処刑を命じた。1619年10月6日、52名の信者は9台の荷車で市街引き回しの後、鴨川の六条河原西岸で27本の十字架に掛けられ、火あぶりの刑で殉教した。 2008年11月24日、長崎でペトロ岐部と187殉教者の中に加えられ福者に列せられた。

☆宣教師が、命を懸けて宣教した京都のキリシタン信仰共同体の跡地を巡礼。石碑、説明板に由る現地に佇つ時、信仰を証した京都のキリシタンの絆と、迫害の中を活きた精神力を想い、キリストの霊性、命、文化が、歴史を刻む京の都で静かに、そして確かな心で護られていることの実感が心に染みた巡礼でした。   梶山聰子