広島地区女性連合会 米沢、東京巡礼記             2008年9月29日〜10月1日

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広島地区女性連合会列福される殉教者ゆかりの地米沢、東京巡礼記 2008年9月29日〜10月1日

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 一行20名は、新幹線にて米沢に到着後、北山原殉教地の大きな十字架上のイエスキリストと両側に佇む聖母マリアと使徒ヨハネの前で、1629年1月12日殉教した53名について信徒の方から説明をお聞きした。
 雪に覆われた北山原で43名、糠山で7名、花沢村で3名が殉教した。当時米沢藩にはおよそ三千人の信者が居たことが藩の記録にある。

 1614年以後、数人のイエズス会潜伏宣教師が東北に入りこの地も訪れた。
 記録がはっきり残っているのはイエズス会が指導した『サンタマリアの組』で有ったと言う。記録によれば、お互いの信仰を深める互助会組織で、洗礼を授け、死者が出れば葬り、結婚の司式をし、貧者を助けた。神父はこの組織を作り、繋がりを持ち、組織の親を育てることによって共同体を維持した。
組織の親は村々を回り求道者を育て洗礼を授けた。
 信者は毎週一度集まりロザリオを唱え霊的読書、分ち合いをして互いの信仰を強めあった。総親の甘糟右衛門は指導者であった。潜伏して巡回して来る神父に甘糟右衛門は宿を提供し、信者の名簿を作った。
 米沢殉教者の特色は、今から約400年前迫害の中で潜伏宣教師によるキリストの教えを純粋に受け入れ協力し、信徒使徒職の役目を信者の手で守っていたことである。殉教の際、役人によって家から刑場に行き斬首された。

 北山原処刑場跡の殉教地で、感慨ひとしおの中で祈りを捧げた後、米沢教会で野間神父様司式のミサに与り、米沢教会マリア会の方々とお茶を戴きながら分かちあった。
 そして、米沢藩主の廟、歴史、林泉寺の甘糟家の墓所などを見学し、米沢を後にした。

9月30日東京着後、
 岩手県水沢で捕えられ江戸送りとなつたペトロカスイ岐部神父の、拷問、穴吊り、死が執行された牢屋、江戸小伝馬町処刑場跡『現在の十思公園』で、私達は、{井上筑後の守の記した岐部ペイトロは転び申さず候。岐部殺し申し候。岐部相果て候}の殉教を偲んだ。
 今は小さな公園で当時此処刑場で使っていた大きな鐘の下で、岐部神父の強健な意志と視野の広い世界観。海難を乗り越えて迫害さなかの祖国で潜伏し、一貫してキリストの霊性を証した岐部神父の信念を想い、国際人としても日本の誇りであることを私達は学んだ。
 築地教会でミサに与った後川口神父様より江戸の殉教についてお話しをお聴きした。

10月1日
 1923年12月4日、宣教師、原主人など50人が火刑された札の辻をバスで通過し、三田ビルの西側の階段上にある元和の殉教記念碑を訪れた。
 高輪教会でご聖体訪問、イグナチオ教会でヴィタリ神父様司式のミサに与り、日本キリシタン史専門の尾原悟神父様の講演をお聴きし貴重なご研究のキリシタン時代の祈りの集成本を見せて頂いた。東京カテドラル、神田教会にご聖体を訪問殉教者への祈りをお捧げした。
 殉教者の深い霊性と信仰の証を学ぶ秋の爽やかな巡礼の旅であった。

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