広島地区女性連合会「ペトロカスイ岐部出身地、島原、大村巡礼」  2007年11月22(木)〜24日(土)

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 私達は、ペトロカスイ岐部と187名の列福される殉教者の鮮やかで勇気ある精神性を想い、迫害の中を潜伏してキリストを証し殉教した島原有馬、大村の地を巡礼しました。

(1)大分県国東の岐部城址の麓に在るペトロカスイ岐部の銅像、小聖堂、資料館を訪れました。 
 国東で培われた不変の信仰と、人間としても深い祖国愛に燃え、信念を貫いた不退転の殉教者岐部神父は、私達現代人に多くの教訓を残しました。17世紀最大の国際人であったことを彼の雄志から学びました。

(2)島原教会で野間神父様によるミサを捧げ、シスターの説明をお聴きした後雲仙教会を訪門、有馬のセミナリヨ跡を訪れ、島原の乱の原城跡を廻りました。
  
(3)大村は、ドン,バルトロメオ大村純忠の時代、全領内に6万人のキリシタンが居ました。 
  迫害は1617年から始まり、鳥篭のような牢に神父、信者を35名閉じ込めた鈴田牢跡で祈りを捧げました。

(4)大村の郡(こおり)崩れ
 40年後の1657年、キリシタン洞窟を発端に郡地方一帯の潜伏キリシタン608人が捕らえられました。
 411人が斬罪,終身牢78人、牢内で78人が病死しました。
 この時、最も多くの殉教者の血が流された放虎原、首と胴が繋がらないようにと500メートル離して埋めた首塚跡、胴塚跡、悲しみの涙で濡れた妻子別れの石、首を塩漬けにして棚に並べて晒した獄門所跡で心を一つにして殉教の精神を偲び祈りを捧げました。 玖島城(大村城)を見学後、純忠の長女マリナ伊奈姫像のある、大村の水主町教会を訪問、野間神父様により、多くの殉教者にミサを捧げました。

(5)中浦ジュリアン他3人の天正遣欧少年使節の像を訪れ、少年使節と共に海を渡り活版印刷機を日本に伝えたコンスタンチノ.ドラード像を諫早図書館で見学しました。
 素晴らしい夕焼けと満月の中を帰広致しました。 

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