萩巡礼ウォーク2014                               2014年11月8日(土)

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萩巡礼ウォーク2014

福者メルキオル熊谷元直と萩に流配された浦上信徒たち

 11月8日(土)萩教会で恒例の巡礼ウォークが開かれた。主に山口、島根から37名の信徒が参加した。

巡礼ウォークコース

1.高札場(ここにキリシタン禁制の高札が掲げられていた。)
2.報恩寺(キリシタン禁制時代、この寺の住職がキリシタンを匿い、お寺の中に祈りの場所を提供したという言い伝えがある。厳しい監視の時代、それは双方にとって、見つかれば死を意味していた。)
3.北の総門(ここから城内)→天樹院(毛利輝元墓所)
4.清水屋敷跡(1次流配者66名が収容された場所。その後改心した者を収容した。秀吉の水攻めで有名な高松城の城主「清水宗治」の末裔の屋敷跡)
5.キリシタン殉教者公園で祈りの集い(岩国藩屋敷跡。主として2次流配者234名が収容された。萩教会初代主任神父ビリヨン神父が、萩に帰郷中の伊藤博文と交渉して手に入れた。)

10時より萩教会恩地神父と光、柳井教会の後藤神父の共同ミサ

萩カトリック教会の旗を掲げて巡礼。高札場からアーケード商店街を通って報恩寺に向かった。
ここには伊藤博文先祖代々の墓がある。中央に後藤神父の姿が見える

  報恩寺(浄土宗)の本堂で難波俊明住職からお話を聞く。ここには古くから隠れキリシタンを匿ったえらいお坊さんの言い伝えがあった。ご住職のご母堂が本堂改築の際、正面の須弥壇(しゅみだん)下を掃除していた時、偶然上からキリシタンの聖遺物らしき金属製のものが落ちてきた。(下の写真参照)
 そこは10人も入ればいっぱいになるような狭い秘密の空間。そこで熱い祈りが捧げられたのであろう。裏の畑に通じる通路もみつかっている。

 報恩寺で見つかった「トリプティコ」と言われている金属製のキリシタン聖遺物。両手ですっぽり入るような小さなもの。3面あって立てかけるようになっていたと思われるが、右側が消失している。中央にキリスト、左に6人の使徒、右にもう6人の使徒がいたと思われるが、詳しいことはわかっていない。専門家の鑑定が待たれる。
 なお、図柄は異なっているが同じ形式のトリプティコを長門高校が所蔵している。

萩キリシタン殉教者記念公園

 巡礼ウォーク最終目的地。ここで巡礼ウォーク祈りの集いが開かれた。
 この記念公園は、明治になって長崎4番崩れにより、1次、2次合わせて浦上信徒300人が萩に流配された場所。この土地は岩国藩屋敷跡で広大な地所であった。
1.浦上信徒が幽閉された岩国屋敷。
 126間という小学校の校舎ほどもある大きな長屋に収容された。ここで改宗を迫る厳しい飢えと拷問に信徒たちは苦しんだ。約40名がここで殉教している。浦上教会編、旅の話「ツルの寒ざらし」の逸話が残っている。
2.福者メルキオル熊谷豊前守元直
 戦国武将。先祖でもっとも著名な人物は「熊谷直実」。平家物語で一番美しいといわれる平家の嗣子「平敦盛」を討つ話は有名。
 1600年関ヶ原の戦いに敗れた毛利輝元に従って萩に入る。娘婿の大野元信とともに萩城築城の責任者となる。もう一方の責任者、益田元祥との「五郎太石事件」に巻き込まれ、キリシタン嫌いだった輝元から、一方的に誅殺される。その際、切腹を拒否し、自ら荒縄をもって首を差出した。
 チースリク著「あるキリシタン武士の生涯と殉教 熊谷豊前守元直」に詳しい。