第24回聖トマス小崎巡礼                           2013年1月20日(日)

HOME > 殉巡ネット > 第24回聖トマス小崎巡礼

第24回 聖トマス小崎巡礼


 2013年1月20日(日)の朝、鈍色の空の雲間から射し入る朝日に吐息は白く染まり、両手を揉みながら巡礼者を待ちました。9時過ぎ、年に一度の巡礼同窓会に各地からの巡礼者が続々と集まり始めました。「おはようございます!」「ようこそ!」「いらっしゃい!」の挨拶を交わしてミサの開始を聖堂で待つ巡礼者。朝日の色がほのかに濃くなってきました。小鐘が響きミサの始まりです。

 「信仰年」公式聖歌『クレド・ドミネ(主よ、わたしは信じます)』が厳かに歌われ、   子供侍者を先頭に3月2日に助祭に叙階される猪口神学生、アルナルド神父様、そして前田司教様の入堂です。ミサは約135人の参加となりました。

 この日は、奇しくも26聖人が三原から西に歩いた同じ20日となり、不思議な巡り合わせの恵みの日であると司教様は説教の導入で語られました。聖トマス小崎といえば「母への手紙」ですが、手紙を筆で書いたことと、三原の沼田川河口南方に位置する筆影山″の名前の由来とを関連付けて、何かしら不思議なものを感じる、恵まれた日であると更に強調されました。また、信仰年の特別免償に言及され、全免償の恵みの素晴らしさと指定された方法で全免償を得るようにと力説されました。そして一句、

≪  垢(あか)切(ぎ)れの トマス小崎(こざき)や 信仰年(しんこうねん)  ≫ ―前田万葉司教―

 ミサ後、各地からの巡礼者の紹介を巡礼委員長の阪田先生が行って、恒例のカレーライスタイム。今年も大好評の内に完食。女性会の皆さまに感謝します。
 11時30分ごろルルドのマリア像前から出陣。今年も特筆すべきことがあります。それは前田司教様が一緒に徒歩巡礼を行われたことです。体調が良くないので途中で伴走車に乗るとおっしゃっておられた司教様ですが、教会坂下を下るときに小さな子供たちが元気に歩いて行くのをご覧になり「あんな小さな子供たちも歩いている。私が車に乗るわけにはいかんなぁ……」とそっとつぶやかれました。城町ジャスコ前の聖トマス小崎像、ここまでは約120人が徒歩巡礼に参加しました。ロザリオの一連を祈り、「二十六の聖」を歌った巡礼団は一路本郷駅に向かって歩を進めます。例年は、三原駅前を通るルートなのですが、今年は訳あって国道2号線を進み、途中、皆実町のカトリック信者経営の葬祭式場での第1休憩を経てJR本郷駅までの13kmを約115人が完歩しました。
 今年は、本当に様々な巡礼者がおられました。わらじで歩まれた方1人、サンダルの方2人、ベビーカー2台、伴走車も司教様の車を入れると4台。年齢も2歳から80数歳までと幅広く、さながらブレーメンの音楽隊といった感じでした。 
 最後の休憩地で司教様から祝福を頂き、午後3時30分ごろJR本郷駅に全員無事到着。巡礼者を乗せた列車は今年も西へ東へと別れて行きました。近くから遠くからに関わらず、皆さまお気をつけてお帰り下さい。今年もともに祈り、ともに歩めたことを感謝いたします。本当にありがとうございました。来年の同窓会までごきげんよう!

 今年も前日の土曜夜に昭和6年制作の白黒無声映画『我、世に勝てり』を鑑賞しました。何度も観ましたが、何度観ても素晴らしい映画です。滂沱の涙は止みません。26聖人の長崎への道は、ヴィアドロローサなのです。
 徒歩巡礼途中、前述のわらじの方と話しました。(26聖人は)「足は凍傷になったでしょうね」「この苦しみにどうして耐えることができたのか」「時代背景や当時の世相も後押しとなったのか」等々。わらじの方曰く『十字架の死を経てパライソに入ることこそ真の幸せであるということを信じていたことに尽きるのではないか』『だから、西坂の丘に辿り着く前に死ぬわけにはいかないと思っていた』。……わらじの方の言葉を聞いて5年前のペトロ岐部と187殉教者列福運動中の溝部司教様の一節を鮮烈に想起しました…「…それはいわゆる常識的現代社会の価値観を踏襲したに過ぎない信仰ではなかったのか…」(冊子:殉教者を想い、ともに祈る週間の11ページ)。この強烈なメッセージに対する回答は、列福式での白柳枢機卿様の≪…恐れるな、恐れるなと神様がそして殉教者が呼びかけています。皆さん恐れるな…≫という心からの叫びだったと当時思いました。

 信仰年に巡礼を促進することを要望されている前田司教様の想いが少しだけわかったような気がしました。巡礼は、現代社会の価値観という沼地に埋没してしまいがちな自分を引っ張り上げる蜘蛛の糸となるのでしょう。  神に感謝。

三原教会 向井雅治