第44回鶴島巡礼                           2012年10月8日(月・祝)

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第44回鶴島巡礼

岡山教会殉教者・巡礼地顕彰委員会

 鶴島は日生沖に浮かぶ無人島です。ここに1869年長崎から浦上四番崩れの113人のキリスト教徒が送られ、厳しい日々を過ごしました。
今年は、初めて参加の前田司教を迎えて、約180名もの大巡礼団での訪問となりました。さらに記念すべきは、腐りかけていた木の十字架に代わるステンレスの十字架が、長崎・浦上流配者遺族の手によって建立されたことです。ミサに先立って除幕式も行われました。

鶴島へ
 今年も鶴島は秋晴れでした。さわやかな海風に後押しされ、参加者は船で鶴島へ。船着き場から海を見下ろす丘にある巡礼地まで、ロザリオを唱えながら山道を歩きました。今日のために前もって備前市の方々によって、道や十字架がきれいに整備されていたので、ミサの準備が早く整いました。

十字架除幕式
 全員で掃除をし、新しい花筒に花を生け、十字架に花環を飾りました。前田司教の司式で新しいステンレスの十字架の祝別・除幕が行われました。百年は朽ちないと言われるこの十字架は、信仰を守るために闘った人々を現代に証しするものとなるでしょう。また、毎年この地を訪れる私達に、彼らの足跡を偲び、彼らに続く思いを新たにさせてくれるものとなるでしょう。

前田司教の説教
新たなる 十字架仰ぐ 島の秋
浦上から流されて来た人々の労苦を思う時、殉教者や見事に信仰を貫いた人だけでなく、転んだ人や転んでさらにキリシタンを迫害した人はどうだったでしょうか。「もし、自分が流配された人だったら、どちらに向かうか?」と投げかけられた前田司教の問いは、その場にいたすべての人々の心に、自分の十字架を見つめ直す機会を与えるものでした。 この地で殉教した人、信仰を守り通して浦上へ帰った人の立派さに目が向きがちですが、半数近くの人が転びました。転んだ後も転ばない人をそそのかしたり迫害したりしたそうです。「その人々の心の負い目をどうにかできなかったものか。その時何が足りなかったか。司祭がいなかったこと。秘跡を授かることができなかったこと。自分の犯した罪を痛悔し、神に赦しを乞うことができなかったことが、何よりも痛ましい。それができていれば、『この人達は何も知らないのです。父よ、彼らをお赦しください』と言うことができたのに」という司祭ならではの言葉が心に残りました。 この人々の苦しみと涙の犠牲の上に与えられた「信教の自由」と「人権の尊重」を新しい十字架と共に喜び、信仰を新たにし、さらに次の世代に伝えることができるように、との祈りをこめて最後を歌で結びました。
殉教者の 子孫たるより 生き様を
受け継がせてよ 愛の業(わざ)にて

信者交流会
 ミサ後は、その場で参加者の交流会が行われ、巡礼団長によって、遠くは長崎を始め、鳥取・和歌山・広島・兵庫そして地元岡山からの参加者が紹介されました。最も遠い浦上からは遺族20名もが参加。代表者の岩永さんは涙ながらに新十字架建立と巡礼の喜びを語りました。 例年は前夜岡山教会を出発し、日生までの40qを夜通し歩く「鶴島への旅」も行われ、今回は記念の10回目となる予定でしたが、スタッフの都合で叶いませんでした。来年は足腰を鍛え、万障繰り合わせ、一人でも多くの方が参加できますように。