キリシタン至福の里追悼ミサ                                2012年5月19日(土)

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キリシタン至福の里追悼ミサ

 5月19日(土)さわやかな五月晴れに恵まれ、萩市の東北部にある小さな山村「紫福」でキリシタン追悼ミサが行われました。ここは460年前、毛利元就の迫害から逃れるため山口の仁保村から移り住んだキリシタンの村でした。その数は数百名にも上ったと言われています。ここを知行地としていたのが熱心なキリシタンとして知られる三輪3兄弟(八郎兵衛〈洗礼名不明〉、アンデレ九右衛門、ジョアン少次郎)でした。ここはトップから民百姓まで全てキリシタンで、云わばキリスト教ユートピア村を形成していたと思われます。メルキオル熊谷元直の萩城築城の際には 全村あげて大きな力となったことでしょう。萩城下にも多くのキリシタンがいましたから、キリシタンを束ねる熊谷元直一族は一大勢力となっていました。それが毛利輝元の熊谷を討つ理由のひとつになったと推測されます。熊谷元直と三輪八郎兵衛が輝元に討たれ、殉教しました。指導者を一気に失った村人たちは、長崎のキリシタンのように隠れキリシタンとして生き延びることはできませんでしたが、自分たちが信仰した証しとしてキリシタン墓を後世に残しました。写真@の後ろに見える墓 それが人知れず山中に散乱していたのを1999年、地元の協力を得て、山口・萩教会の有志が集い、ここ紫福の中山地区に祈念地として造成整備しました。こうして450年の時空を越え、かつてのキリシタンの信仰が日の目を見ることになりました。  当日は100名を越える巡礼者が集まり、地元の方も参加されてすばらしい追悼ミサになりました。お昼は地元のご婦人方の作られたおいしいおいしいお弁当をいただいて解散しました。

 参考資料 当時の宣教師がローマに送ったイエズス会年報に、熊谷元直がアンデレ九右衛門に宛てた書簡を載せた。 チースリク著「熊谷豊前守元直」から

 7年ぶりに山口・島根地区に帰ってきたビタリ神父〈中央〉左は恩地神父〈萩〉、右は西山神父〈津和野〉

 予想を超える百名以上の参加者があり、急遽、竹で作った仮設ベンチが作られた。県内からは小野田、防府、山口、萩の教会。県外は広島、益田そして地元からの参加者があった。祈念地は山を少し登ったところにあり、写真に見えるように、周りに高い孟宗竹の林がある。そのため日ごろはこの祈念地は竹の枯葉で埋もれる。この日のミサ中も竹の枯葉がはらはら散り、さわやかな風が吹き抜けていった。