第43回鶴島巡礼                           2011年10月10日(月・祝)

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第43回鶴島巡礼

岡山教会殉教者・巡礼地顕彰委員会

 長崎・浦上四番崩れ流配地「鶴島」への巡礼は今年も150人を超える参加者となり感謝です。参加者の方から感想を寄せていただきました。

 今回初めて鶴島巡礼へ参加させて頂きました。日生港より中型の船に乗り、約30分で鶴島に到着。当日は汗ばむ位の陽気での登坂でしたが、ロザリオの祈りに支えられ約15分後にはキリシタン墓地へと到着しました。到着後は墓地の清掃を行い、殉教者達に花を手向け、その後に行われる野外ミサの準備を始めました。9人の司祭によるミサは壮大で、その上、陽気に輝く瀬戸内の海、真っ青な空、そして「ここまで来てくれてありがとう。」「ご苦労様。」との殉教者達のほほえみ(聖霊)が優しい風となり、約150人の巡礼者の間を吹き抜けたお陰で、益々と荘厳さが増した厳粛なミサになりました。司式を執り行って下さった玉野教会の金神父の御説教も素晴らしく、「殉教の精神を生活に活かしてこそ意味がある」との内容はまさに同感で、胸を打たれました。
 私も、日々の生活では信仰との間で苦しむことが度々あります。困っている人、悲しんでいる人を、街中で見かけても、声を掛ける勇気もなく…いや、「面倒に巻き込まれるのは御免である」との気持ちから足を止める事無く通り過ぎる事があります。また、社会の中で間違っていると思う事についても、その人の罪だからとその人が背負えば良いと無慈悲に背を向けてしまうことがあります。また、他人と衝突した時など、自分の感情に負けてしまい、その人を遠ざけてしまうことがあります。しかし私達のキリストであるイエスは『自分の為に命を得ようとする者は、かえってそれを失うが、私の為に命を失う者はかえってそれを得るのである』と仰られています。
 殉教の精神を理解し生活に活かしてこそ意味があるとの金神父の御説教は、私達が日々の生活の中でもっとも気を付けていかなくてはならない事柄だと感じます。私も日々の苦難を思うとき、鶴島巡礼の記憶を思い出し、乗り越える力にしたいと主に願っています。

第9回・鶴島への旅(徒歩巡礼)

 参加者は図らずも26人、日本二十六聖人にあやかる。内訳は神父3人、修道者5人、神学生1人、子供3人。最年少は8才の女の子、最高令は77才のシスター。県外参加者は18人でした。
 8才の子は肥塚神父が保護者となって参加、中間点の長船サービスエリア少し手前の備前大橋まで歩行し、残り2人の子供(12才と13才)は長船サービスエリアまで歩行出来感動です。途中一部キセル(伴走車に乗車)の方も出ましたが、最後は皆でゴール。
 今回の40q巡礼は、途中子供達の足の治療に時間を取ったものの、秋の星空の下、軽快にそして快適に、歩を進める事が出来た。出立の祈りと荻神父の講話による力づけ、また3・11の出来事の背中押しがあったからだと思う。来年は節目の第10回。

巡礼の話題/アラカルト

★港を9時40分頃出港、歓迎アーチ(頭島大橋)をくぐって鶴島へ、オリエンテーションの後ロザリオを唱えながら墓地まで。いつもながら役場の草刈のご協力に感謝です。野外ミサ後改宗の祠等を見て海岸で適宜昼食と交歓会、再び船で日生港へ。14時半頃解散でした。
★今年の野外ミサは玉野教会金(キム)神父司式、侍者も同じく玉野の小学3年生の男児。マイクを神父に向け頑張りました。
★墓地の白木の十字架も1966年8月に建立して早や45年、朽ちて危険なため、参列されていた長崎の方と話し、新しくやり替えを検討するようです。来年は前田司教の参列も要請しているようですから、司教が除幕式挙行?楽しみです。 

各種データ

★参加神父・神学生
岡山・岡山南/荻・豊田・アンリ、岡山/早副、玉野/金、倉敷/野中、笠岡/瀧井、幟町/後藤、教区/肥塚、大東(大阪)/シスネロス・ハイメ、以上神父10人 及び トゥアン神学生 
                                           (     は徒歩も参加)
★参加人数
156人(内徒歩のみ5人、両方21人)
 注:「鶴島巡礼」は前夜岡山教会から日生港まで徹夜40qの徒歩巡礼の「鶴島への旅」と翌日の日生港からの「鶴島巡礼」からなっています。

★参加教会等
【岡 山 県】岡山・岡山南・玉野・倉敷・笠岡・水島
【広 島 県】三原・福山・尾道・祇園・廿日市・三篠
【大阪教区】赤穂・姫路・加古川・高槻・六甲・大東
【そ の 他】鳥取・長崎浦上・相生修道院・聖パウロ会・女子パウロ会