萩・巡礼ウォーク2011                                       2011年7月3日(日)

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萩・巡礼ウォーク2011
長崎浦上教会の巡礼団をお迎えして

 2011年7月3日(日)恒例の萩巡礼ウォークが行われました。今回は浦上教会の巡礼団26名をお迎えして、10時に4人の司祭によるミサで始まりました。…………………写真@
 最初に萩市が復元した「高札場」を見学。かつてキリシタン禁制のお触れが出ていたところです。次に「報恩寺」に向かいました。浄土宗報恩寺は、昨年カトリック新聞が取り上げ、評判になりましたが、今回もここを期待して参加された人が多かったようです。
 若いご住職、難波さんの話によると、この寺にはかつて偉いお坊さんがいて、苦しんでいる潜伏キリシタンを助けたという言い伝えがあった。昭和63年、本堂改築の際、阿弥陀如来像の立つ須弥檀(しゅみだん)下に秘密の空間と裏の畑に抜ける通路を発見。7,8人でいっぱいになるような狭い空間だが、そこを整理していたご住職の母上が上から落ちてきた銅製の不思議なものを見つけた。…………………写真A 
携帯の祭壇というべきもので、これを置いて祈りや集会祭儀が開かれていたのでしょう。キリシタン弾圧の続く毛利時代、集まるほうもかくまう方も命がけであったに違いありません。奇しくも300年以上のときを隔てて、その言い伝えが真実であったことが証明されたわけです。すばらしい感動的なお話でした。
 その後、城内に入る北の総門を通り、毛利輝元の墓所「天樹院」を訪れました。最後に目的地である「キリシタン殉教者記念公園」に到着しました。…………………写真B
 この記念公園は、浦上四番崩れで萩に流配された信徒と福者メルキオル熊谷元直注とその同士殉教者の遺徳を顕彰するために、明治25年萩教会初代司祭ビリヨン神父によって建てられました。浦上教会の信徒の皆様にとっては、祖先に当たる方々ですから、感慨もひとしおだったことでしょう。墓石に刻まれた文字を確かめられているのが印象的でした。熊谷元直顕彰碑の前で「巡礼ウォークの祈り」を捧げてから昼食を頂きました。心配された天候も梅雨の晴れ間となり、参加者65名全員元気で、午後2時に解散しました。  注福者ペトロ岐部司祭と187殉教者の一人


写真@ 中央左から
萩教会/恩地神父、浦上教会/小島神父、広島教区司教館/肥塚神父、山口・島根地区長/李神父


写真A 秘密の空間上部から落ちてきた銅板の携帯用祭壇。
中央にキリスト像、左に6人の使徒、右側が消失しているが、おそらく6人の使徒が描かれていたであろう。


写真B 全員で「巡礼ウォークの祈り」を唱える。