キリシタン至福の里・中山地区祈念地 追悼ミサ                     2011年5月21日(土)

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キリシタン至福の里・中山地区祈念地 追悼ミサ

萩・山口カトリック教会キリシタンの里 至福会

■祈念地整備の経緯
 萩市の東北部に紫福(しぶき)という地区があり、かつては全村民がキリシタンであったという。紫福(しぶき)という地名は至福(しふく)から来ているとも伝えられている。
 今から460年前、1549年にサビエルが日本で宣教を始め、この山口の地にも多くの信徒が生まれた。大内氏滅亡の後、この地を治めた毛利氏によって厳しいキリスト教弾圧政策が執られた。信徒たちは難を避け、キリスト教の理想郷をこの地に求めて、紫福に移り住んだ。隠れキリシタンとして信仰を守る苦しい生活を余儀なくされながら、懸命に生き、この世を去った。やがて人々からキリシタンは忘れ去られ、その痕跡は庭の片隅や山中深く埋もれているキリシタン墓のみとなった。
 訪れる人もなく、荒れるがままになっていたお墓を何とかしたいと考え、紫福出身の増野さん(山口教会)が中心となって、かつてのキリシタンを追悼する祈念地建設プロジェクトが立ち上がった。村役場や地元の方々の協力を得て、1999年3月末に祈念地は完成した。

■市長さんをお招きして追悼ミサ
 2011年5月21日(土)至福の里祈念地で追悼ミサが行われました。この日は天候に恵まれ、地元の方々も含め60名を越す参列者がありました。司式は柴田神父様。新司祭になったばかりで、祈念地を囲む若葉と同様フレッシュなミサになりました。
 野村萩市長さんにご案内を出したところ、思いがけず出席したいとの連絡を受け、一緒にミサに与ってくださいました。これは信徒だけでなく地元のかたがたに取りましても、大きな喜びとなりました。とりわけ祈念地設立に奔走された方々には、労苦が報われた思いがあったことでしょう。市長さんは挨拶の中で、「キリシタンの里紫福は萩市の文化遺産と捕らえ、今後調査をしたい」と述べられていました。
 緑滴る清々しい祈念地で、おいしいお弁当を食べて解散しました。

(写真説明)
 司祭左から恩地神父(萩)柴田神父(山口)カンガス神父(山口)西山神父(津和野)
 祭壇後ろに見えるのは山中人知れず眠っていたキリシタン墓を顕彰した祈念地