聖ディエゴ喜斎記念聖堂/日本二十六聖人顕彰ミサ                  2011年2月5日(土)

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「日本26聖人殉教」を祈念し 岡山市内巡礼

  私たちの信仰の支えである聖ディエゴ喜斎をはじめとした日本26聖人が、豊臣時代の2月5日に長崎西坂で殉教したことを祈念して、岡山教会ではこの時期(今年は同じ2月5日となりました。)26聖人が歩んだ市内の旧山陽道を訪ねると同時に、明治の始め、長崎の浦上村のキリシタン信者への迫害○注 に関係した岡山市内の史跡を訪ね、殉教者へ思いを馳せて市内巡礼を行っています。今年は、荻(おぎ)神父、アンリ神父、李(イ)神父と共に26名の方々と一緒に巡礼しました。
 巡礼はいつものとおり、岡山南カトリック教会に集合の後、午後一時の出立式(しゅったつしき)、そして顕彰委員会担当者からの講話と案内に導かれ、一時半過ぎに先ず長崎から岡山へ流罪となった信者の方々が上陸したと推定される旭川の河口付近の住(すみ)吉宮(よしぐう)へ向けて、ゆっくりした足取りで岡山南教会を出発しました。
 巡礼先の住吉宮、松(しょう)寿寺(じゅじ)での幽閉のこと。そして26聖人が長崎へ引き立てられた京橋付近の道筋は、当時の旧山陽道の面影を今も残しているように感じました。また岡山教会の直ぐ近くにある本行寺(ほんぎょうじ)や弓之町の牢獄跡等、行く先々で担当者から当時の時代背景や史実に基づく詳しい説明があり、今では想像もつかない寒さや飢えの中で多くの方々が弾圧を受け、殉教し、辛酸を受けた当時のことに思いが至りました。
 当日は、この時期には珍しく穏やかな初春の日差しに恵まれ、岡山南教会から岡山教会までの約10キロメートルの巡礼はあっという間に終わった感じがします。当時の浦上キリシタン信徒への思いや聖ディエゴ喜斎のこと等、皆さんと一緒に歩きながら充実した時を持たせて頂いたことに大変感謝しております。

○注・・・一般に「浦上四番崩れ」と言われるキリスト信者への迫害のこと。当時、キリシタン弾圧の下、浦上村の全住民総勢3,300人以上の方々が岡山藩や津和野藩等の西日本の20藩へ総流罪となり、その内117人が岡山藩へ移送され弾圧を受けました。毎年10月に行っている「鶴島巡礼」は、このことに由来しています。

岡山教会 殉教者・巡礼地顕彰委員会

聖ディエゴ喜斎顕彰ミサ

 午後からの岡山市内巡礼に先立ち、10時から豊田神父の司式により聖ディエゴ喜斎記念聖堂で顕彰ミサが行われた。喜斎を教会の保護聖人と慕う岡山教会の信徒の方々約60人が参列し、414年前の26聖人の殉教を偲んだ。説教では豊田神父が、26聖人について、また豊臣秀吉のキリスト教禁教について、四国の土佐に漂着したスペイン船サン・フェリーペ号について話されました。この漂着が翌年の秀吉のキリシタン弾圧「26聖人殉教」の切っ掛けになったということです。

岡山教会 殉教者・巡礼地顕彰委員会