萩・巡礼ウォーク2010                                       2010年7月4日(日)

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萩・巡礼ウォーク2010
潜伏キリシタンを助けた報恩寺

 7月4日(日)梅雨の中、天候が心配されましたが、雨にならず曇天模様の高齢者に優しい巡礼日和となりました。毎年行われている、福者メルキオル熊谷元直と萩に流配された浦上信徒の信仰を顕彰するこの巡礼は、今回特別のものとなりました。それは、萩市の中心部にある浄土宗「報恩寺」(位置図D)のご住職、難波氏から、「この寺には潜伏キリシタンをかくまっていたという言い伝えがあり、その証拠が見つかりましたので、ぜひお出でください。」との招待を受けていたからです。
 その日、山口県を中心に58名の巡礼参加者があり、大きな期待を持って報恩寺に向かいました。本堂でご住職から説明を受け、(写真@)ご本尊の阿弥陀如来像の真後ろにある秘密の空間(写真B)を見せていただきました。大人が頭を下げて入れるほどの高さ、5,6人くらいでいっぱいになるでしょう。そこでひそかに祈り(オラショ)の集会が行われていました。床板を開けると外の畑に通じる通路があります。昔からその言い伝えがあったのですが、ご住職のご母堂が、そこを掃除中に偶然、携帯用祭壇(写真A)を見つけられ、その言い伝えが真実であることが分かったのです。
 今から400年前、徳川幕府の厳しいキリスト教弾圧のもと、集まるほうもかくまうほうも命がけの行動だったでしょう。かつてのキリスト教とイスラム教の対立の例を出すまでもなく、宗教対立は先鋭化しがちですが、この浄土宗「報恩寺」の寛容さに強い感動を覚えました。このことからも、以前紹介した萩の東北部にあるキリスト教村「至福の里」(紫福)だけでなく、多くのキリシタンが萩城下にいたことが推察されます。
 その当時のキリシタンに思いをはせながら、熊谷元直の殉教のきっかけとなった萩城を抜け、殉教者記念公園(写真C)に到着しました。そこには明治時代、ビリヨン神父によって建てられた、熊谷元直とその同志殉教者、明治になって萩に流配された浦上信徒の顕彰碑があります。最後にその碑の前で聖歌と祈りが捧げられ、感銘深い巡礼は終わりました。
(カトリック新聞の記者も同行取材。7月18日付新聞に掲載されています。ご覧ください。)

【写真説明】

@報恩寺の本堂。説明をされる。ご住職の難波氏。

 

A携帯用祭壇。金属製で3面からなり、立て掛けられる。中央が復活のキリスト。左が十二使徒の内6人。右は消失しているが、残りの6使徒が描かれていたであろう。


B本堂正面裏。阿弥陀如来像の後ろに大人数名が入れる秘密の空間がある。祈り(オラショ)が唱えられていたであろう。


Cキリシタン殉教者記念公園。ビリヨン神父によって建てられた顕彰碑の前で、恩地神父のお話。


D報恩寺(位置図