当日配布資料を見ながら
鶴島について研究してきた中でいくつか結論出来た事をお伝えできればと思います。
岡山藩流配の概略を最初にお話ししたいと思います。
1865年に大浦天主堂を建て有名な信徒発見が有り、そのニュースがたちどころに世界に広まりました。そして信徒達の教会復帰への活動を始めます。信仰を隠せなくなり、葬式も教会でという話になります。
浦上村全て信徒と分かり、浦上四番崩れになり計20藩23カ所に流します。その一つがこの岡山・鶴島です。岡山流配の特色は、島流しにしていることです。(今はガムやハワイなど島は楽しいですが、)当時は死刑に匹敵する厳しい刑罰でした。全国流配の中で島流しは岡山だけです。萩でも数ヶ月だけ有りましたが、岡山では浦上に帰還するまで唯一留まっていました。
従来主な資料はマルナスの「日本キリスト教復活史」(帰還から12年後)と浦川和三郎の「旅の話」(マルナス本から約40年後)です。聞き取り時の信徒の記憶違いが随分有り、間違った情報が一般化していました。その修正資料として政府の公文書があります。流配の人数・名前・年齢皆載っています。
岡山藩流配は主に本原(もとはら)郷(ごう)の平(ひら)・辻の117人。……弓之町牢獄、松寿寺に。食料配給の通達も殆ど守られず、特に男子は牢屋の庭に生えている雑草を食べているような状態でした。何ヶ月も経つうちに(巧みな呼びかけもあって)改心者が続出しました。改心者は本行寺(今の朝日新聞社)に移されたが、諸般の状況で浦上に帰せなくなり鶴島に、しかも(不改心者より)先に送られた。当時鶴島は低い草が生えていました。狭い長屋を作って入れました。とにかく狭かった。改心者と不改心者の開墾地は分けていました。
改心者は明治5年に開墾地の払い下げを受け、売り払って帰還しました。旅費になったんでしょう。それが前田さん(今の持ち主)の手に移ったんでしょうね。苦労して開墾した土地も今は単なる無人島になってしまいました。
死者の名が記念碑に書いてあります。岩永ちさ他の計17名で、内4人は岡山での死亡で半田山墓地(今の墓地入り口付近?)に埋葬です。また殉教地として訪問して下さい。
一つ四角い墓石が有るのは野口サメさんで後日息子が建てたものです。
鶴島に来てからも次々に改心が続いています。
改心・不改心の問題ですが、約半分が改心です。これは大きな問題です。殉教とも関係します。浦川司教の著述等にもあるように、両者の間の極端な違和感とでも言いますか?自分の祖先がM5年帰還組(改心)かM6(不改心)か大変気にされます。M5には「おめおめと」とか悪い言葉がついて来、M6には「信仰を堅く守って凱旋した」となる。当時の司牧方針としては当然だったが、今ではどうかなと思っています。M5の方も教会に復帰している。迎え入れられている。それを今もって「おめおめと」とか言って批判する立場に我々が有るのかと思います。様々な事情が有ります、特に岡山藩では飢えと拷問の中で心ならずも捨てますと言った人達です。問題は浦上に帰ったらどうしたか、ちゃんと教会に復帰している。それをいつまでも罪人扱いにする、卑怯者扱いする。それが果たしてキリスト教の考え方から来るのか。主を一番大事なときに知らないと3度も言ったのは聖ペトロです。それをキリストは教会の柱として建てられた。そこを考えないと解決しません。
(岡山の)17名の内3名は改心です。改心者の生存率は高い、不改心者から殆ど死者が出ている。改心者は隣島で買い物したりして自由だった。そこから偏見も生じているが、最後まで(改心の)レッテルを付けて、(改心者はそこで死んでも殉教者にはならないですね、一般的には棄教して死んだから)。でも、死ぬときに心から改心して神に赦しを願って死んだのかも知れませんね。
殉教者の定義は、@信仰からくる道徳の為に死んだ、A命を棄てたこと、B抵抗しないで死んだこと、この3つが必要になります。ここから、棄教者は殉教にはならないですね。でも臨終の最後の心は神様でないと分かりません。それを人間が落伍者・殉教者と分類するのはどうでしょうか。
自分の自尊心・虚栄心から死んだのは殉教になりません。殉教者の中にもその落とし穴が有るかもしれません。一方、犬死にと言われている人の中にも臨終の時には心から罪を悔いて、信仰の為に命を捧げたかもしれません。人間が一概に落伍者・殉教者と判子を押すのはもっとも注意しないといけません。鶴島も半分が改心者です。
ペトロ岐部と187殉教者が列福されますが、あの方達は鋼鉄のような意志ですね。…………
ああいった(ペトロ岐部みたいな)殉教者もすばらしいですが、一方鶴島などで、誰にも知られることなく亡くなった殉教者に光を当てるべきだと思います。
それが(私が浦上キリシタンについての)本を出した理由の一つです。まだ20藩の内10藩分しか出していません。半分は書かずに終わるかも知れませんね。
そっと人知れず咲いた殉教の花、それをイエス様も一番喜んでくれるのではないでしょうか。
鶴島に限らず、各地で生後間もない赤ちゃんが(胸が痛みます)だだをこねます。子どもの為に心ならずも転ぶということがありましょう。転んだ方の大部分がそうですね。母親の棄教者が非常に多いです。
その方々の中にも浦上に帰って教会に復帰された方が多いです。(復帰出来なかった方の中には)復帰の心を持っていたにもかかわらず、M6の方が教会に来にくい雰囲気を作っていたことも有るようです。
これはもっともキリスト教の精神に反する事ではないでしょうか。
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