列福される殉教者をたずねて                        2007年12月11日(火)12日(水)

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五人の列福される殉教者ゆかりの地、及び山口、島根の11の教会を巡礼
2007年12月11日(火)12日(水) 同行司祭:肥塚神父 幟町教会 宣教企画部


 2008年11月24日に列福されるペトロカスイ岐部と187名の殉教者が、深い霊性と愛と忍耐によって禁教令弾圧の迫害の中を生き、キリストを証し殉教した鮮やかな精神を想い、私達25名は肥塚神父様と共に広島の殉教者の地を辿り、且つ山口、島根の11の教会を巡礼し、その歴史と背景を学び、現代の信仰生活の中に響かせ活かすことが出来ればとの想いを篭めて小さな旅に出かけた。

【12月11日】
1.幟町教会を出発、己斐の殉教碑に到着した。【遠山甚太郎は1600年甲斐の国で浅野幸長の家臣の子として出生した。主君幸長は和歌山に入城し宣教を許可した。
彼は16歳の時、フランシスコ会のフランコ神父から受洗した。彼の屋敷は潜伏宣教師の拠り所となり和歌山の共同体を支えた。主君浅野に従い広島に移つた彼はマチアス、ヨアキムと出会った。1624年2月主君から死の宣告を受け屋敷内の小さな聖像の前で斬首され殉教した。マチアス庄原市左衛門は、投獄されたイエズス会の石田神父の人格に感化され受洗した。伝道師ヨアキム九郎衛門は広島の信仰共同体の世話役、ハンセン病の世話をした。マチアスは2月,ヨアキムは3月磔刑で殉教した】
3人の広島の殉教者の前で、私達の毎日の生活の中に信仰の力が与えられますようにと主の祈りを唱えた。

2.浜田教会に御聖体を訪問、モレノ神父様は、53年前に献堂された浜田教会の信徒数は130名で主日は20名程度。『わが主わが神』と、信仰の原点に戻り祈るしかないと語られ<神の計らいは限りなく生涯私はその中に生きる>を共に歌った。
3.益田教会で御聖体を訪問、バラ神父様から信徒は100人、御復活には20人の参加、普段は一人でミサを立てていますが、持っている力を教会に捧げたい。益田から天国に往きたいと話されました。
4.津和野の教会では各自それぞれにお祈り致しました。
5.福栄町の至福(紫福)の里を訪れました。大内義孝の時代、フランシスコサビエルが山口で熱心な布教活動を開始、多くの人達が信徒になったが、毛利輝元の時代キリシタン禁制、宣教師追放の政策により、1560年頃から宣教師と共に大半の信徒が紫福村の山里に逃れ隠れキリシタンとなって信仰を守った。その人達の墓碑を訪れ、父と子と聖霊を秘めた祠形の墓碑に当時の迫害と信仰に想いを馳せマリア様の取次ぎを願って我等の為に祈り給えと祈願した。
6.萩の教会で肥塚神父様のミサに与り説教の中で、私達は広島教区の四分の一の教会
を巡礼していますが、400年前の山口、島根の信仰共同体から、今の私達の学ぶことのあること。品格ある信徒であるようにと説かれた。モラーレス神父様から毛利の迫害により、山口から至福の里に逃れて信仰を守った信徒について、祠形の墓碑についてのお話をお聴きした。
萩の殉教者、熊谷豊前の守元直は熊谷直実の子孫で毛利の重臣、1555年出生、
1587年の復活祭に豊前中津で受洗した。萩で毛利輝元のキリシタン弾圧政策の中、信徒達を保護した。1605年邸を包囲された彼は座敷の小さな聖像の前で斬首により殉教した。萩教会信徒の方の案内で、萩殉教記念公園を訪れ元直の殉教碑、娘婿天野元信の碑、浦上キリシタン4番崩れのお墓の説明をお聴きした。

【12月12日】
7.彦島教会で御聖体の前で祈りを捧げ、リントホルスト神父様は神様と常に会話をするよう宣教師として話され、神の計らいは限りなく生涯私はその中に生きると共に歌った。
8.細江の教会で御聖体にお祈りを捧げ、小崎神父様から細江教会は、五島の出身者、韓国の出身者が多く大変熱心である。待降節は喜びを持っていつも新しく自分の心の中に主を迎えること、全ての人は神に大切にされていると話されマリア様の祈りを唱え、茶菓を頂いて細江を後にした。
9.1549年聖フランシスコサビエル下関上陸の地(堂崎の渡し場)の記念碑を訪れサビエル城の石を見学した。
10.長府教会では幼稚園クリスマス会の時間と重なったが御聖体を訪問、中村神父様とお別れし、昔、国府の置かれた長府を後にした。
11.高千穂教会に御聖体を訪問、西山神父様から教会の現状をお聴きした。
信者数163名で主日のミサに40名が与られ、熱心で活発な奉仕活動の方が多く俵山、乙女峠の清掃等もなさる事をお聴きした。
12.北若山教会は幼稚園のクリスマス会の時間と重なったが、静かな聖堂で御聖体を訪問し殉教者を想い信仰を証し出来ますように主の祈りを唱えた。
13.宇部教会では神父様は小野田の老人ホームにお出かけでお留守でしたが、御聖体の安置された小聖堂でお祈りを捧げた。
【我に来たれ総て労苦して重荷を負えるものよ我汝らを回復せしめん】の掛軸が掛けられていた。
14.山口教会を訪問、和泉の国堺出身の全盲の琵琶法師は山口で光に出会い、名前をダミアンと改め山口の教会で琵琶法師として活躍何よりも神を語った。毛利輝元により宣教師が追放された迫害の中で山口の信徒の共同体を支え教理を説き仲間を励ました。
1605年斬首にて殉教した。2007年夏に建立されたダミアンの赤茶色の記念碑前でお祈りを捧げた。
サビエル記念大聖堂で百瀬神父様は、山口はサビエルが、大内義孝から寄贈された
大道寺を日本最初の教会として建てた。日本最初のミサが捧げられ、グレゴリア聖歌でクリスマスが最初に祝われた由緒ある場所であると山口教会の歴史について話された。その後、肥塚神父様司式によって御ミサをお捧げした。

“キリストへの信仰を証した日本の殉教者の深い霊性と光る精神性を宿した生きざまのメッセージを、現代社会の私達は各自の心にどの様に透し受け止め日々の生活に響かせて往けるのでしょうか”?