第21回津和野巡礼のご報告                                 2007年5月3日〜5日

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第21回津和野巡礼のご報告

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 今回は、司祭5名、シスター15名、アスピラント7名と一般の方44名、小中高生10名、合計81名の方々が参加された。
 当初の予定では、50~60名位と見込んでいたがとんでもない見込み違いであった。
 日本のカトリックにとって、今年は188名の殉教者が列福されるという特別の年であることを思えば当然の事態といえよう。
 山中、これだけの人数が一団となって約90キロの道のりを3日間無事に歩きとおすことは普通では考えられない旅ではなかろうか。
 それができると信じ、毎年ながらそれができたということは一体なぜだろうと改めて考えさせられる。
参加された方一人ひとりが、殉教者の苦難の道を偲びつつ自分の信仰心を確かめることへの強い意志と、主の導きを固く信じていたからこそできるのであって、そこには間違いなく主のお恵みがあるからと思うほかない。

 今年も、81名全員が巡礼のゴールである乙女峠に無事たどり着き、殉教者が眠る千人塚(十字架の道行きの第15溜)で殉教者への追悼と感謝のミサをささげることができた。
 そのときの肥塚神父(旅長、旅の創設者)の話によれば、彼等が死をもって信仰を守り抜いたことによって今日の日本のカトリックがあるのであり、また、長崎で起こった「浦上四番崩れ」といわれる幕末から明治初期のキリシタン弾圧(全村民を全国各地に配流し、改宗を強いた)が世界のキリスト教国の反発を呼び、日本政府が信教の自由を憲法にうたうきっかけになったという歴史的意義を忘れてはいけないとのこと。
 無事に巡礼を終えて感動ひとしおの時、こうした殉教者の犠牲によって「今の私達がある」ことを知り、
天の大いなる御わざとお恵みに改めて感謝の念をささげたのは私だけではないと思う。

●五月三日(木曜日)
 朝9時、北は札幌から南は長崎まで、集合した参加者は早速この巡礼のスタート地点である津和野藩舟屋敷跡に向かう。1868年浦上村の主な人28名、1870年他の村民、家族達125名が上陸したところである。
 天気はまさに五月晴れ、心地よい日差しを受けながら廿日市教会へ。
9時45分、長谷川主任司祭の歓迎の挨拶があり、5人の指導司祭による巡礼ミサが始まる。
 司式された肥塚神父は、「私は道であり真理であり命である」の御言葉を通して、おそらく殉教者達が固く信じていたのはこの御言葉にもあると話され、私達は「旅する教会である」と結ばれた。
今回参加したものの、果たして完歩できるかどうか不安でいる私達を励まし、殉教者と主のお恵みに与るあなた達は間違いなく津和野へたどり着けますと力強く話された。
 11時、ルルド前で点呼、出陣の祈りを終えて今日の行程、約23キロに向けて皆元気よくスタート。
 スーパー前の公園で昼食をし、最初の難関「明石峠越え」に向かう。
峠の頂点まで約9キロ、自動車道の脇を歩く上り坂。自動車ならなんでもないが、休憩なしで一気に歩くのは相当ハードな箇所である。
 3時、どうやら難所を越えて最禅寺に到着。お寺から氷アイスの差入れを美味しく頂き、ようやく歩きに慣れた頃、今日の宿泊場所である岩倉温泉・癒心館(旧岩倉ロッジ)に5時到着。
 6時30分、待ちに待った夕食。食後、自己紹介等をしながら懇親会。22時就寝。

●五月四日(金曜日)
 4時40分、まだ眠気を残したまま暗い中で集合。
 5時、今日の行程は36キロ、肌寒い中を津和野石畳道入り口に向けて出発。
 5時50分、軽食を済ませ幻想的な真っ赤な日の出を見ながらいよいよ山中に入り、この旅の見所である石畳道が始まる。少し登ったところで、津和野街道の往時を解説した看板の前で旅長の説明を聞き、今日の難所「悪谷」に向かう。
 途中沢渡りがあるが、山歩きの愛好家が私達のために飛び石を整えてくれていたので危険なこともなく順調に悪谷へ到着。
 7時30分、悪谷の沢のほとりで山中ミサ。
 朝日を浴びた美しい新緑、鳥のさえずりの中で何もかも忘れて、このときこそ、神の恩恵を称え殉教者への賛美を心から祈るにふさわしい最高のミサではないかと感じた。
 和気あいあいと朝食を済ませて次の難関「生山峠」、「羅漢山」へと向かう。
 12時20分、今は廃校となった旧大原小学校(以前、校長先生が私達を歓迎する為にわざわざ沢山の鯉のぼり立ててくださった)でこの旅の目玉になっている「山賊弁当」を食べ、元気を回復して星坂の番所(関所)跡へと向かう。
 その後、山口県から島根県に入り水源地公園を経て今日の宿泊地へ。
 6時、女性はログハウス、なつめの里の宿泊所に到着。男性は途中銭湯によってから宿泊所(林業センターの体育館)に入る。夕食はスーパーに特注したカレーライス。美味しく食べて就寝。

●五月五日(土曜日)
 4時20分、分宿先へスタッフが迎えに。
 5時、今日の行程は30キロ、暗い中での点呼、お祈りして出発。旧柿の木村集落センター(現在古賀町と合併)へ。
 7時10分、集落センターで朝食を済ませ今日の難所「折橋」から最大の高所「唐人屋トンネル前」に向かう。途中、円通寺で住職さんの出迎えを受ける。
 12時、いよいよ津和野に入り乙女峠に到着。
 旅長から、殉教者が受けた数々の拷問とその跡についての説明を聞き、十字架への道行きを経て殉教者が祭られている千人塚へと向かう。
 1時、殉教者への野外ミサ。静かな谷あいに作られた墓所の前で、殉教者への祈りと無事旅を終えられたことに感謝をささげる。
 2時、ようやく昼食場所の沙羅の木レストランに到着。食事をしながら解散式をして、津和野教会へ向かい、木村主任司祭に報告。お礼を述べて帰路に着く。

大瀧事務局

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