広島教区・略史

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信仰の遺産 −中国地方の教会−

 広島教区創立以前のこの地方の宣教の歴史には力強い神の働きと先人たちの堅固な信仰が輝いています。
 1549年に日本に初めてキリスト教を伝えたフランシスコ・ザビエルは1551年、山口で二ヶ月間宣教し、約五百人が受洗しました。
 1597年、日本の最初の殉教者日本26聖人は、京都から山陽道を通って長崎へ連行されました。その中の一人、ディエゴ喜斎は岡山県出身でした。キリシタン禁令・迫害・殉教の時代には、この地方でも多くの殉教者を輩出し、福者に列せられることが期待される殉教者もいます。
 1867年、浦上の四番崩れが始まり、1868年、明治政府は浦上の中心的な信徒114名を萩・津和野・福山に流配しました。1870年には、広島、岡山、松江、鳥取にも流刑、幽閉されました。
 1873年、キリシタン禁制の高札が撤去され、日本の教会の新しい時代が始まりました。今年はちょうど130周年にあたることになります。中国地方の再宣教は、1880年,パリ外国宣教会のワスロン神父とクーザン神父によって岡山から開始されました。
 80年前、広島教区が誕生した1923年には、宣教・司牧はパリ外国宣教会からイエズス会へ移管され、定住宣教師をもつ教会は、岡山、玉島、鳥取、広島、松江、山口、萩、下関の八教会でした。現在広島教区には41の小教区があり、約2万人の信者がいます。
 広島教区が設立されてから80年間の歩みを導かれた神に感謝し、この地方に福音の種をまかれた宣教師をはじめ、先人たちの努力の実りである信仰の遺産を継承していく決意を新たにいたしましょう。

1923(大正12)年5月4日 中国地方の岡山、鳥取、広島、島根、山口の五県が大阪教区から独立して、広島代牧区が設立された。
宣教・司牧は、パリ外国宣教会からイエズス会ドイツ西管区へ移管された。
初代教区長にはハインリヒ・デーリング大司教が任命され、岡山に教区長館を置き、9月23日着任。
1928(昭和3)年8月5日 第二代教区長ヨハネス・ロス司教叙階 。
1939(昭和14)年2月23日 教区長館が広島市幟町教会に移る。
1940(昭和15)年 第三代教区長アロイジオ荻原晃師任命。
1945(昭和20)年8月6日 広島に原子爆弾投下。
1954(昭和29)年8月6日 世界平和記念聖堂(司教座聖堂)献堂。
1959(昭和34)年6月30日 広島代牧区は司教区に昇格。
初代司教に野田時助新潟教区長が任命されたが病気のため辞退。
1960(昭和35)年5月8日 第四代教区長ドミニコ野口由松司教叙階。
1981(昭和56)年2月25日 教皇ヨハネ・パウロ二世来広。「平和アピール」発表。
1985(昭和60)年6月16日 第五代教区長ヨゼフ三末篤實司教叙階。
2000(平成12)年8月6日 三教区姉妹縁組を締結。
インファンタ教区(フィリピン)、釜山教区(韓国)。
2003(平成14)年10月20日 教区大会開催(「沖に漕ぎ出せ〜輪を拡げていく共同体〜」)。
2003(平成15)年 広島教区創立80周年(「沖に漕ぎ出せ〜キリストのみ顔の光を輝かせて〜」)
2004年(平成16)8月6日 世界平和記念聖堂献堂50周年(「信仰イキイキ明日の教会〜一つのこころ、一つのからだ〜」)
2005(平成17)年 戦後・被爆60周年・三教区姉妹縁組5周年(「信仰イキイキ明日の教会〜一つのこころ、一つのからだ〜」)
2006(平成18)年2月25日 教皇ヨハネ・パウロ二世来広25周年(「信仰イキイキ新たな出発〜わたしを遣わしてください〜」)

歴代教区長の写真